・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

愚報山脈:31

2018年03月16日 | つぶやきの壺焼

大騒ぎは、あまり品のよくない芸ごとのようです。
それを好む人はただの演じ役に過ぎません。

なぜ大騒ぎしなければならないのか、それは騒ぎのほかに見せたくないことがあって、そちらに目を向けさせたくないというだけのことです。

しかし、下手な騒ぎ方をすれば、その演技をだれも見てくれません。
人々に見向きもされない演技を、それでも見せたい一心で、さも大ごとのように報じる新聞があります。

明らかにはできないものを抱えながらのガタピシャ芸は、また始まったかうるさいなと嫌がられるタネにしかなりません。

同じことが2日続けてトップ記事にされれば、それはもうニュースではなくニーズのカスであるということに、いつも山の上にいる気分でいたい人々は気づくことがありません。

愚報の山並みも、31日眺めてやっとバカ尾根の尻尾が見えました。

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愚報山脈:30

2018年03月15日 | つぶやきの壺焼

情はまことに厄介なものです。

情けは人のためならずを地でいってやり過ぎれば、だれのためにもならない結果を生むこともあります。
紙風船は押せば凹みます。
上質の丈夫なゴム風船は押してもすぐ元の形に戻りますが、とがったもののひと突きではじけてしまいます。

風船をはじかせて楽しむメディア、それを見て手をたたいて喜ぶ赤ごのような人びと、見方次第ではのどかな風景にもなります。
見せるほうも見るほうも、それが愚報であること、もう一つ外側から見ている目のあることには、なかなか気付きません。

どこかの国に飲み込まれる日が近づいてくる風のようなものに、背中の寒さを覚えます。

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愚報山脈:29

2018年03月14日 | つぶやきの壺焼

"みえ"という言葉を漢字にすると、見栄と見得のふた通りになります。
使い方も「張る」か「切る」かのふた通りになります。

見得を切ることに何か価値があるのは、歌舞伎の舞台か花道かでの所作で、それ以外にはろくなことはありません。

張るほうの見栄も、チヤホヤの材料にされるだけで、自分の満足感に比べて、その場の空気感のしらけ方は、張った本人が気付きにくいだけに、得てしてみじめなものに終わります。


昨日の電子版5紙のトップ記事は、書き写すのも疎ましいほど8割が揃っていました。

この記事群のすべてを克明に読み取らなければ、それが何ごとであったのかを知ることはできません。
いったい何が問題をややこしくさせてしまったのか、どの新聞も"みえ"とは無関係に書きにくい何かがありそうです。
だいじなことを書かないことが愚報のうちであっても、"或る"ことについて、それを書かないのが愚報なのかどうか、たぶんこのことは、ズバズバ言うことしか理解できない外国人には謎解きができないだろうと思います。

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愚報山脈:28

2018年03月13日 | つぶやきの壺焼

愚報に二種類あることに、いまさらながら気づきました。
ひとつは知らせ方の愚かさ、もうひとつは知らせる中身そのものの愚かさです。

これまで知らせ方ばかりに目を向けていましたが、知らせることがらの愚かさのほうが、がっかりする度合いがなお強そうです。

「国有地売却問題で、財務省近畿財務局が作成し、途中で書き換えた文書は14あり、一つの文書から交渉の経緯などを削除しようとしたところ、玉突きで次々に書き換えせねばならなくなった」

このニュースからは、どういうことがどう書き換えられ、その書き換えにどれほどの問題があるのかは何もわかりません。

生活が豊かになると、公務員はこういうことが仕事になり、それがどうしたというようなことが、政府の困惑のタネに仕立てられます。
顔だけは正直者らしく、さも真面目そうに無為な時間つぶし問答に明け暮れるさまが報じられるこれらのニュースは、中身の噴火口が知らせ方の外輪山に取り囲まれたような愚報の山並みになります。
これらの山は、ふもとからでは愚の全貌を見ることが難しいものになるのがまた厄介なことなのです。

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愚報山脈:27

2018年03月12日 | つぶやきの壺焼

山脈は、一つの型がどこまでも続くということはありません。

愚報につながる山並みには、どんな型がありそうかと、春の眠気覚ましにだじゃれ系の想像をしてみました。

ガ行を中央にしてガギグゲゴに"報"をつけてみます。

雅報欺報 愚報解報誤報

良さそうな報せと、悪そうな報らせ、その比は2対3、言葉遊びもこの行ではあまり戴けません。

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愚報山脈:26

2018年03月11日 | つぶやきの壺焼

ニュースの文言に小解説を織り交ぜて知らせると、わかりやすくなります。
ただし、そういう手立てによるわかりやすさによって、すべてが良いニュースになるとは限りません。

だれでも知っている国名のあとに、わざわざ正式名称を付け加えさせるおかしな国もありました。
それが間違いではなければ、まず問題はないでしょう。

困るのは、付け加えたことによって本質をすり替えてしまう愚報の場合です。
今行われている会期16日間の大会議の名前の報じ方もその一つです。

・ 全国人民代表大会(全人代、国会に相当)
・ 国会にあたる全人大

ここに示された"国会"が、日本の国会を指すのであれば大違いだからです。
日本の国会議員は、国民の選挙によって選ばれた人たちです。
全人代の構成員は、選挙の形をとられていても指名された人たちと聞きました。

会議は人が集まってするものですから、集まる人の選ばれ方によって本質は異なります。
ニュースの会議名につけられた"相当"とか"あたる"という言葉は、そこでの使い方に相当するものでもなく、あたってもいないのです。

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愚報山脈:25

2018年03月10日 | つぶやきの壺焼

放送や新聞は、愚報の策略をやめ、具法の提示によって、育て上げてきた偉力のベクトルを転換してほしいものです。

<例:1> バッジに考えさせる運動
国会を、TVスタジオの模倣から良識の場に戻すよう、議員それぞれが自分の胸につけているバッジに考えさせる運動を呼びかけてもらいたいと思います。

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愚報山脈:24

2018年03月09日 | つぶやきの壺焼

日本語には同じ字で全く意味の違う言葉があります。
漢字にすれば"素振り"と変換される"すぶり"と"そぶり"も、その組み合わせのひとつです。

"すぶり"は、これから打とうという前段階の所作です。
"そぶり"は、して見せるだけの虚空の所作です。

対話というものが、どういう意思のもとに行われるのか、その結果はしてみないとわからないことです。
希望的観測にとらわれて対話に臨めば、相手の智謀的策略に嵌まることもあります。

素振りの様子は、知らせ方によって、愚報にも具法にもなります。
素振りは素振り、それを見ただけでは、安心できないことだけは確かです。

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愚報山脈:23

2018年03月08日 | つぶやきの壺焼

昨日の5紙電子版トップ記事は、興味を引こうという記事と、知ってほしい記事とに分かれました。

ゆるキャラをぼやっと眺めていても、ぬいぐるみの中でごそごそ動いているものの正体はつかめません。

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愚報山脈:22

2018年03月07日 | つぶやきの壺焼

素晴らしい時計をいつも身につけていて、毎正時には12時ぴったりのところを秒針が通り過ぎるのが自慢です。
その人は、もうひとつ得意技があって、遅刻の名人だったという話があります。

数値を織り混ぜた報告書は、ほんとらしく見えます。
ところが、正確な愚報というのもあって、計算はぴったり、主意はそっぽという統計表もときどき見かけます。

計算の合わないどこかの国の経済指標が、どれほど国威の宣伝効果をもっているかを見れば、ご名算の値打ちなどどこかへ行ってしまうでしょう。

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愚報山脈:21

2018年03月06日 | つぶやきの壺焼

国会には、53の委員会があってそれぞれに活動しています。
衆議院 常任委員会 17
    特別委員会   9
参議院 常任委員会 20
    特別委員会   7

TVで放映される委員会運営の状況は、ほとんど見る気がしません。
たとえば予算委員会であれば、内閣から出された予算の案の是非について討議されるものと思ってチャンネルボタンを押してみると、質問時間を割り当てられた議員が、国の予算とは全く無関係なことを原稿を読みながら時間つぶしをやっています。
質問者は、何かを聞き出したいのでもなく、自分が質問しているところをTVで放映させたいというだけのことが見え見えなのです。
どこかの企業が、商品宣伝のためにやっている講演会なら、苦々しく思っても短い時間のことですから我慢もできます。
しかし、国会のだいじな委員会が、そういうばかげたことでお茶を濁すのは、けしからん話です。
愚問は愚答しか引き出さないとは言っても、それにいちいち相手になっているほうも、黙ってさせている議長も、みな半ば共犯です。
こういう醜態が、世界中に放映されているのは、国辱でしかありません。
狙いをつけているどこかの国の独裁者は、それを見ればにやにや喜んでいることでしょう。

こういう状況の放映は、まさに愚報山脈国会連峰、国外に友人がいる人は、恥ずかしくてたまらないでしょう。

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愚報山脈:20

2018年03月05日 | つぶやきの壺焼

昨日日曜日の5紙電子版トップ記事は、見事に各社ばらばらでした。

取り上げている内容はともかく、一つのことに偏っていないのは心が休まります。

日曜には報道人も普通の気持に戻っているのでしょうか。

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愚報山脈:19

2018年03月04日 | つぶやきの壺焼

オリンピックの放送は、スポーツの実況なのか、芸能番組なのか区別がつかなくなってしまいました。
そういう区別は必要なしと言ってしまえばそれまでですが、スポーツの実況を見るつもりなのに、選手の紹介を通り越したどうでもよい私生活を、取材自慢のようにしゃべり続けたり、一人じっとしていたいときの選手をカメラで追い続けたり、そんな場面ばかり見せられてはかないません。

それぞれの生活での滑った転んだを克明にしらせながら、一方では、無法なやり口で転ばされたり走行を妨害されたりした状況は、都合の悪い実況として、放送から除外してしまいます。

ワイワイ気分の盛り上げだけが放送の力点にされた愚報山脈は、東京でのときにはその風景を一変させ、日本の美しい山なみに戻してほしいと願っています。

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愚報山脈:18

2018年03月03日 | つぶやきの壺焼

「ここのモードはどうかね」
転勤先で初めての現場長会議が終わって、エレベーターホールで長老格の人からいきなり質問が来ました。
ムードの言い間違いかと一瞬思って、返事が詰まったことを思い出しました。

ムードとモード、「ムードはある時期にしか属してくれず、すぐどこかへ行ってしまうけど、モードこそ気持ちでどうにかできるものでもない」という、見事な区別があります。(打楽器逍遙 6 ムードとモード 増村和彦

イン・ザ・ムードという曲は、こちらを向いて追いかけて来いと、日本人を急き立て、懸命に働かせる雰囲気をもっていました。
モードをムードの間違いではないかと聞き損ねたのも、ちょうどそういう時代のことでした。

赤を排斥しながらみずから赤かった占領国の軍によって、つくりあげられてしまったモードはなかなか強固なものです。
体はしきりに動きながら、負けた、悪かった、恥ずかしいと、頭も心も下を向き続ける奇妙な人々が大勢育てられました。
その人たちが持たされたコテによって、政治の場、教育の場はそのモード一色に塗り固められ、国旗と国家が許されるのは金メダルをもらうときだけという、おかしな風習ができてしまいました。
個人の心は入れ変えられても、風習はひとりでは変えられません。

国旗が揚げられる情景さえ報道の映像からはずす局もあるそうです。
国民がこぞって喜んでよい普通のありさまを見せずに、どこからいくらもらったなどと、下司なことに力を入れて報じる愚報のバカ尾根は、長くながく続きます。

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愚報山脈:17

2018年03月02日 | つぶやきの壺焼

韓国のイチゴがびっくりするくらいおいしくて、それがお気に入りでした」と報じられていたイチゴは、国外持ち出し種苗の育成者権確保策の甘さも手伝って、改造品種が韓国で1000億円市場に成長し、日本からの輸出機会が奪われ、年間何十億もの損失を招いているという、いわくつきのものだったようです。

このニュースをラジオで取り上げたおじさんは、このことを「いいじゃないか」と伝えていました。
酒場での話ならそれでもいいでしょう。
しかし、放送された言葉は、公共の電波に乗ってひろがります。
街角インタビューの無責任発言とは違い、著名な放送人が口にすれば、日本ではこの程度のことは許されるのだと、ずる賢い人の言いぬけ材料になったり、甘く見られたりで、良いことはありません。
ない隙まで見つけ出して付け入ってこようとする人たちを相手に、度量の広さの気取りなど無用のことです。

国益をマイナス側に振らせる放送発言は、愚報の山なみのコルに相当する気がいたします。

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