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・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

日々一連想:19 議論とQA

2020年03月16日 | つぶやきの壺焼

国会の中継を見る気がしないのはなぜだろうか考えてみて、単純な原因に気づきました。

議会と呼ばれるところで行われないはずのない、議論の様子が報じられないからでした。

いま、中継で放送されるのは、議論ではなくQAルームなのです。
そのQAの多くが、国の政治にかかわることではなく、議員や関係者の日常行動についての、枝葉末節どころか、枯れ葉の先についた鳥のフンのようなことを何度も何度も繰り返しながら立ったり座ったり、質問者の割り当て時間を食いつぶしている、場末の劇場でも観客が寄り付きそうにない田舎芝居しか想像させないからです。
田舎芝居になぜ見えるのか、それは運営の基本にも問題があるように見せられているからです。

立法府としての議会は、出された法案を審議し修正して法律を作る仕事をすることと、私たちは認識しいています。
ところが。国会中継と称して放送される範囲では、法案の審議以前、あるいは審議とは言えない根底から政治とは無関係のことついてのQAの状況しか公表されません。

報道する人たちが、QAのやり取りが議論であるかのように勘違いしているのであれば、それを改めさせればよいのですが、もしこれが、議論の場を見せずに茶飲み話のQAごっこだけを、意識して見せようとしているなら、大きな問題と言わなければなりません。

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日々一連想:18 立たない法

2020年03月15日 | つぶやきの壺焼

だいじなこと、すぐ始めなければならないことに手を付けずにいれば、時を逃がすことになります。
それがないようにするには、法にこだわる人が、やらない理由を立てられない法を作ればよいと思います。

遵法に徹するなら、やらない理由を立てられなくする、危機措置法という新法を制定すればよいでしょう。
国民の生命財産が奪われるおそれのある危機に、政府や行政の長に即刻の決断義務付け、躊躇も逃避もできないようにする法律です。

危機措置法の執行には、場合によっては憲法を乗り越えなければならないこともあるとしておきます。
本来国民のためにある法律ですから、国民の生命財産より法が重要ということはあり得ません。

これまでの片意地な法律論や、沁みついてしまった常識にしがみついていては、いざという時の決断から逃げ回るネズミのしっぽを抑えることはできません。

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日々一連想:17 法の極性

2020年03月14日 | つぶやきの壺焼

磁気にはNSの極性、電気は+-の極性があります。

永田町で皆さんが論議される法にも極性がありそうです。
こうしようという+の極性と、こうしてはならないという-の極性です。

こうしなければならないというのは、一見+に見えますが、なければならないという言葉が入ればやはり-側でしょう。

禁止事項の多い-の法は、悪事を防ぐ効果の反面に、しなければならないことをしないで済ませる悪用の利便性を持っています。

非常時に打たなければならない施策の邪魔をする効力を内包していたのでは、何のために法律があるのかわからなくなります。
-の法律を作り慣れた人たちは、+の立法が苦手と見えます。
すぐにでも実行しなければならないことに法律論をかざして-の判断をさせようと、わけのわからないことをしかつめらしく言う総反症の患者も声を大きくします。

昨日さくら並木に近いところに行ってみたら、河津さくらはもう新緑でした。
コロナ騒ぎが落ち着いたら、永田さくらの話はもうやめて、+系の論議を華々しくしてほしいと思います。

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日々一連想:16 下支え

2020年03月13日 | つぶやきの壺焼

景気の下支えをするぞ、というもっともらしいことばを聞いて、景気が良くなると思う人はあまりいないでしょう。

好景気が保たれるように下支えするというなら話はわかりますが、はっきり下を向いてしまっている景気を、下から支えてどうするというのでしょうか。

いまは下支えなどと言われても、絵空事にしか聞こえず、何の期待も持てません。
国民の皆が元気を取り戻す経済政策が必要です。

元気回復の薬代に、各世帯10万円ずつ消費期限付きの金券を配るなど、そういう即効のあるものでなければ元気は出ません。
それならゴールデン・ウイークがグレイ・ウイークにならずにすむのではないでしょうか。
そして5月中旬から皆が元気に働きだしたら、XXX改革などというおかしなことはとりあえず棚上げにして、上を向きかけた景気の下支えになるよう、しっかりした手を打っていただきたいところです。

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日々一連想:15 巧技汚技

2020年03月12日 | つぶやきの壺焼

観客不在の大相撲がいま行われています。

心技体のことばが示すように、取り組みには力士の心がまず現れます。

技には、そういう手もあったかと驚かされるような巧みな技もあれば、見る者を落胆させるような汚い技も飛び出します。
汚い手にもいろいろありますが、代表は張り手でしょう。
日ごろ鍛えた体力をもってしても、度を越えたその汚い技に遭えば、立ったまま失神状態になったり、意識を半ば失いながら取り組みを続けたりで黒星頂戴となることもあります。

張り手は、巧みな技や隠れた力を持っていそうな相手には、立ち合いの一瞬に気をそぐために用いられるので、禁じ手にはなっていません。
それでも、力士番付の最高位にありながら、目のくらむような力を込めた汚い張り手を、臆面もなく使いまくる人もいます。
そんな取り組みからは、誰も感動を得ることはないでしょう。

巧技を見せられずに汚技に走れば、日常の巧言も影が薄れ、風貌のどこかに心根の底が現れます。
取り組みの結果には白星黒星の二種類しかなくても、それは成績表の数だけのことでしかありません。
生涯にどれほどその数が多くても、汚技の助けを得た白星では、自分では見えない背中の綱が、徐々に光を失ったものになっていくことでしょう。

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日々一連想:14 損得

2020年03月11日 | つぶやきの壺焼

損得は必ず対立しています。

世界中を困惑の渦に巻き込んでいる武漢肺炎も、これが人智ではどうにもならない不条理な現象ではなく、損得がからんでいます。
地球上のすべての人間が損害を蒙っているかに見えながら、ごくわずかな人間が利得をわがものにしています。

その筆頭は、ウイルス発生源国の首領です。
彼がどういう利得を得たか、まず、超大な施設によらなくても、世界を震撼させる力を持ったウイルスを生成培養すれば、低致死率で地球全滅までにはならずに諸国を制覇できる壮大な実験に成功したということです。
次に、行き詰まってしまった経済を、他国の実勢を一斉に低下させることによって、相対的に自国が埋没してない形に見せかけることに成功し、責められている制裁の縄を緩めさせる効果を得たということです。

マスクを売って儲けた奴がいるなどという、ショボい話ではありません。

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日々一連想:13 ケチ

2020年03月10日 | つぶやきの壺焼

やめろやめろ、じっとしていろ、そう言われれば、しつけの行き届いた従順な国民は静かに言うことを聞きます。

静かに待つのは、そのうち何とかなるだろうという気持ちが残っている間です。
コロナ対策で特別にかけるお金が1.6兆円、そうれを今日決めると聞きました。

あきれカエルの鳴き声が聞こえてきます。
数字の間にポツンとあるテンが目障り、消してください。

病にうち勝つには気合が大事、気が抜けてしまうような話は御免です。

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日々一連想:12 諸弱

2020年03月09日 | つぶやきの壺焼

海外には、地下鉄など怖くて乗れないというところもあります。
見知らぬ乗客が落とした硬貨の行方を気にしているうちに、財布をすられたという体験談も聞きました。

日本の国内では、大勢の人と一緒にいると、危険を感じません。
すし詰めの車内でも、痴漢偽装の悪いたずら以外は、息苦しくても危ないとは思いません。

その場にいることも、考えることも、皆と一緒なら安心、日本人は「諸」に従順、そして寛大、それが度を越せば依存となり、もろ弱くなります。
情報弱者は情弱と呼ばれますが、諸弱という集団性格もありそうです。

諸君と呼ばれて怒る人はあまりいません。
「諸国民の富」という本もあります。
「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と言われてしまうと、「諸」がどういう人たちであるか吟味もせずに、「われら」は「諸国民」を誰彼お構いなく信頼し続けられると思い込む人も出てきます。
その思いが一生消えずに終わる人もいます。

甘藷好きが多いのも諸弱の一面かと、ふとバカな連想もしましたが、イモには草冠が付いているのでした。
草冠、草食、草の根、諸弱、連想はまた奇妙な戻り方をします。

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日々一連想:11 一応

2020年03月08日 | つぶやきの壺焼

一応」は口癖になりやすいことばです。
緊張して話をすると、「一応」を「えー」や「まー」のように連発する人もいます。

一番には「一番でなければダメですか」という切り返し言葉がはやったこともありました。
一応には「一応ではダメでしょう」とか「一応でなければダメですか」という使いみちはありません。

対話の相手に「一応」と言われてしまうと、反論が難しくなります。
反論が困難なのは、無根拠だからです。
ない根拠は,質すことも、正すこともできません。

世界中に広がってしまった感染症の発生責任を、あわよくば他国に転嫁させようとしながら、それを責任転嫁でないとわざわざ宣伝しているような、ズルボケなところから出される当てにならないデータを、対策の根拠に使っている役所があります。
それでよいのかと責められると、「一応」という返事だったという話がありました。

こんなふうに「一応」は、無根拠を装った偽根拠という、はなはだたちの悪い使い方もできます。
そうなるとこれが、悪魔のことばのようにも聞こえます。

「一応」を随所で便利に使うのは、一応やめておいたほうがよさそうです。

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日々一連想:10 感情と理性

2020年03月07日 | つぶやきの壺焼

感情ということばは、対語の探しにくいことばです。
対語がなかなか見つからないのは、意味をたくさん持っているとも言えます。

仲の悪い人がいないように見える人は、感情の広がりが大きいのでしょうか。

感情理性は、ものごとのとらえ方で、対向とまではいかずとも別の面と言えるでしょう。

隣国首脳の国賓招待延期の報に「感情で反対する人もいるが」と、ラジオのコメンテイターが言っていました。
感情で反対でも、理性を働かせれば一概には反対できないだろうと言いたげに聞こえたのですが、そんなことはないでしょう。

ホロコーストの計画から80年後に同じことに手をつけてしまった男を、理性で考えればなおさら許し難く、国賓招待に反対できないという考えなどどこからも湧いては来ません。
国賓招待に反対しないとすればそれは感情ではなく勘定、自分の金儲けのためしかないでしょう。

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日々一連想:9 八方塞

2020年03月06日 | つぶやきの壺焼

はっぽうさい、八宝菜は具材多々の炒めものですが、八方塞がりはどちらの方向にも動きのとれない、いまの日本の状況です。
呼び込んでしまった感染症ウイルスのおかげで、どこの国からも当分来てくれるなと言われそうになっています。

八方美人は、どちらにも受けをよくのつもりでいても、それが八方不注意の危険を抱えることになります。
八方に敵なく、世界中に信頼できる「諸国民の公正と信義」が等しく存在し、我が味方になりうるなどということはあり得ません。

八方に見分け見定めの目を光らせ、相手の出方次第で時に応じて明確な態度表明を発信しなければ、閉塞の壁は次第に厚くなりこちらにのしかかってきます。

八方の敵は、半分にしてもまだ四方にあるのですから。

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日々一連想:8 頂上

2020年03月05日 | つぶやきの壺焼

頂上の先は、すべて下山道です。

頂上の多くは、広大な場所ではありません。
場所が狭ければ、頂上に登り詰めてからできることは限られます。

持った望みが大きすぎて、頂上で一生を終わろうなどと考える人は、空間感覚も時間感覚も失った罹患状態に陥っているのです。

病に侵された人を、国で最もだいじな人に近づけてはなりません。
花が散ろうと芒の穂が風に靡こうと、選ぶ適期などもともとないのです。

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日々一連想:7 売怨体質

2020年03月04日 | つぶやきの壺焼

梅園の楽しみは香りです。

異様なことを楽しむばいえんもあります。
売怨、それは怨みを売る楽しみです。

売怨が個人の体質の場合は、いじめの形であらわれます。
大陸に売怨体質を持つ人が生まれると、それが民族の体質であるかのように広く強く浸透していくことがあります。

何年あるいは何十年かに一度、繰り返し強い売怨体質の人が現れるのは、大陸がもつ地政体質なのかもしれません。

大陸に根付いた地政体質を、外からの働きかけだけで変えることはできません。
売怨体質の人とは、ごく浅く付き合うか、相手にしないか、どちらかしかないのです。
なんとかして付き合いを深めていこうなどと思うのは、すでに売怨体質に侵されている症状の自覚でしかありません。

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日々一連想:6 人命と人権

2020年03月03日 | つぶやきの壺焼

人権じんけんと,何かにつけて問題にしたがる人がいます。
人命じんめいという声は、あまり聞こえません。

人権は目に見えません。
人命は、目の前にその存在を確かめることができます。

命を奪われれば、その人の人権も共に消え失せます。
人権だけが残ったとしても、主のいない不確かなものになります。

命は奪わずに、人権だけを奪う冷酷なことが、国策であるかのように行われているところもあります。
教育と名付けた巧みな操作によって、人権を奪われた人は、それを恨むどころか、間違った考えを捨て去ることができたと、異様な感謝の念が起きるように改造されています。

本来の人権を奪われた人の命は、命ぜられたことができる器用な生物のエネルギー交換機関でしかなくなっているのです。
持たされているだけの命、それはもはや人命ではなくなっているでしょう。

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日々一連想:5 与太与党 

2020年03月02日 | つぶやきの壺焼

よたものという、手のつけられない役立たずのならず者を呼ぶことばがあります。

漢字では余他ぐらいのところかと、国語辞典を引いてみると、これがなんと与太、共にに太ると読まれては困るので(あて字)と断ってあります。

与は与党の与、太は太鼓の太、この連想は、あまり気分の良いものではありません。
野党与党が、足を引っぱったり蹴飛ばしたりして太鼓をたたいているだけ、その太鼓の音は、後は野となれ山となれと聞こえてきます。

与野党の皆さん、あなた方は、30年後50年後の、次世代、次々世代に日本がどうなっていなければならないのか、一人ひとりお考えをお持ちなのでしょうか。

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