南無煩悩大菩薩

今日是好日也

福を得る。

2006-08-07 | 日日是好日。

富豪。井原西鶴さんは確かこういった。

「商いで大事なんは、算用、才覚、始末でんなぁ」


もちろん。富と福とは似て非なるものではあるけれども、商売を志すものにとって、富を伴う成功とは、一つの到達点であることに違いは無いだろう。


又、出所は失念してしまったが、こうもあった。

「富を得るかどうかの分岐点には3段階ありまっせ。まず、第一に言われた事しかしないお方は、まずお給金は望んだらあきまへんなぁ。言われたことに創意・工夫を施す人は、そこそこ貰えますわなぁ。ほんまもんの富を手に入れるお方はな、自分の頭で目利きし、手腕を発揮して、望まれる以上のええもんを産み出せるお方です。」


・・・。


利子。という言葉がある。

要するに、お金が子供を生むという考え方。

借りたり、調達したりしたお金を、自分の才覚・算用・始末において子供を産ませる事が、商売の基本。

お金に子供を産ませ、親と子を返して尚残る部分が、自分の取り分。
自分の才覚・算用・始末で産み出した富となる。

この子供を生ませることが出来なければ、商売人としては恥ずかしい。

人間の世界とちがって、子供が出来ないような交尾は、現金、あ。いや、厳禁なのである。

気持ちよくもなんともなく、自慰よりもまだ始末が悪い。


人も同じ。利の子を産ませる商いには、人の子、つまり、お給金や組織の向上を産み落とさなければいけない。

お金も人も借りているのである。


利の子に多産を求められる事に手を出すなら、それなりの己でなければなるまい。


自分の算用・才覚・始末で、何も産まなくなれば、食用か肥料にでもなるしか無いだろうなぁ。


小生は用務員であるから、心に刻まぬわけにはいかない。


・・・。


福福しい人がたまにいらっしゃる。

富の価値を知っているお方。

騙すでもなく、卑屈でもなく、過剰でもなく、自分の才覚・算用・始末の価値を理解していらっしゃる方達のように受け取れる。

小生はこういう方達と接するたびに、福を得る。

富の大小ではない福の得方を、指南されているような気分になる。


・・・。


雨が降ったら傘さしまっしゃろ。

当たり前のことを当たり前にしとるだけですわ。

晴れた日に貸して、雨の日に取り上げるようなことしたらあきまへんでぇ。


・・・。

これが、なかなかもって。難しい。
コメント (2)
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