合成の誤謬。ということがよくある。
部分であてはまることが、全体にも当てはまると勘違いしてしまうこと。
ある閉じられた社会の常識は、世の非常識。という結果が、事件となっている。
歴史を重ねるにつれ多様で複雑化し幾多の合成の上に成り立つ社会。
ある種の統計結果などは、別の種の統計に取って代わられ、いとも簡単に覆される。
多大な犠牲を払って実験をするのが、人間社会における誤謬の取り除き方であった。
日本は世界七位の豊かさだという。
日本の学力低下は落花の前触れのようにかしましい。
超債務国であって、超債権国でもある。
日本に当てはまることが、世界に当てはまる。世界で当てはまっていることが、日本に当てはまる。とは限らない。
我々に当てはまることが、他の人にも当てはまる。と思い込む処に、誤謬というものが生まれる。
今の貧乏人が、10年後も貧乏人であるかどうか、今の金持ちが、10年後も金持ちといえるかどうか。
酒も煙草も女もで80歳。禁酒禁煙禁欲で50歳。そんなこともままある。
前者は貧乏人。後者は金持ち。
銭本位制であれば、格差社会で救われるのは前者だろうか。
1万円で楽しめる遊びと100万でも満たされぬ焦燥。
どこに、合成の誤謬が生じたか。
なにごとも流動し変異する浮世である。
人は一生。部分は全体。が見えるまで誤謬は続く。
知らないことは、知るまで続く。知っていることは、知らないことを知るまで続く。
人類は、いまだ脳力のスーパーセントしか使っていないらしいから、歴史を重ねることで、まだまだ幾らでも改善と誤謬処理の余地は充分にあるはずだ。
と。座する羅漢さんがそう言っている。