その御堂は小高い森のいただきにあった。
町がこしらえた案内板にはこうある。
道仙様の檜と御堂。斉藤道三の落とし子が道仙様だという。
しかし何故、土佐の山間で奉られているのか。
斉藤道三といえば、戦国の幕開けを飾る下克上の世の猛将ではないか。
美濃の地で活躍した子種が何故に遠い土佐の山深きところで生涯を閉じるのだ。
そうか。土佐は徳川の時代になって、山内家が移封された地である。
山内家は確か三河の出である。ということは、美濃は近い。
道三の息子、龍興の謀反のときに、道仙は、三河に逃げたのかもしれない。
そして、不遇を囲いながら、やがて山内家と共に、土佐に入国したのだろうか。
しかし、城下を離れ奥深い山間で最後を迎えなければならない理由はなんだったんだろう。
天下を取った徳川家の陰に、滅んだ土着の長曽我部家。
その遺臣たちの集落に奉られた斉藤道仙・・・か。
盛者必衰。命運翻弄。人の世の常。
間口いっけんたらずの御堂が、小高い森丘のいただきで静かにたたずんでいる。