天照大神は、女神の胸も陰部も妖艶裸々の踊りでその気になって、八咫(やた)の鏡に興味を惹かれ、天の岩戸から引き出されたという。
日本の神々は、その原点にして、かくも微笑ましく爽快である。
「あけっぴろげ」なのである。
神とは本来、そういうものであってこそ、「拝みたい」という信仰につながるのではないだろうかともおもえる。
自分を映す。という鏡が、ご神体であるという発想も大変良いのではないだろうか。
「鏡で自分の今の姿を見てみなさい」という神のお告げなのである。
かがみみて わがみをみたれ 醜きは やだぁのかがみ
かがみみて わがみをみたれ 嬉しきは やったのかがみ。