たとえば手を水に浸したとしよう。
それまで手が寒い状態におかれていたら「暖かい」と感じ、暖かいところからであれば、「冷たい」と感じる。
人はしばしば絶対的なものではなく、相対的なものに強く反応する。
道は、登りと下りを繰り返す。
山があり谷底があり平地がある。
それは絶対的なものだ。
遍路。
登ることはその向うにある下りを予期することであり、下ることもまた来たる登りを受けとめることである。
登りがきつく下りが楽だというその時々の感情は相対的なものである。
相対的なものに反応しすぎると、長い道をいくことはきついものとなる。
繰り返す山と谷、その経験の積み重ねが、道行を上手にしていく。
人はしばしば、相対的なものに感情を移入しすぎて、身勝手に振舞うときがある。
長い道をひたすら行かねばならぬなら、とどまらず経験を重ねるしかない。
絶対的には楽ではないかもしれないが、相対的な楽ちんは、そうやって手に入れるしかないように思う。
その向うの青空は、やっぱり美しいと思える。