疑っていることがある。
私は、疑っている人に対し、自分は信頼に足りる寛大な人間となれるだろうかと。
本当に嬉しいこととは、お互いに信頼し信頼に応えあうことそのものに、喜びを見出すことだというのは、脳の神経生理学的にも実証されているという。
線条体という部位が、喜びと嬉しさと自らの尊厳にまつわることで、活発に活動し、喜び物質が造られるようだ。
その大きなファクターが、信頼し信頼される関係を認識した時だという。
そのためには、いったん自らの利得や尊厳を棚上げしたり、体面や矛盾に目をつぶるというような行動も含まれるらしい。
つまり、脳の活動的には、信頼関係の喜びを経験したものは、信頼作りへの渇望において、麻薬などの薬物と同様の影響を与えるということでもあろう。
常習性を与えるものを、外から取り込むと、不幸な中毒になるが、内から生み出せば、幸せになるということだ。
所詮浮世は一人旅。
ともいうが、自らを信頼する為には、他人との信頼関係の構築と言う体験がなければ、所詮成り立たないものでもある。
疑っていることがある。
私は、本当の信頼に足りる寛大な人間に今まで一度でもなったことがあるだろうかと。
私は旅に出る。