人が状況から学習する能力を持ち、その能力を支える環境があるところなら、どんな場所にでも戦略は根を張る。
これら草の根の戦略が集合し、組織全体のふるまいを導くほどに繁殖すると、それは組織化された戦略へと姿を変える。
-ヘンリー・ミンツバーグ-
私はこの言葉が好きだ。
私は戦略とは、すこぶる有機交換的なものだと思う。
体液の交換が、すこぶる創造的なのと同じように。
理性だけで人は感動しないように、感情だけで志が纏まるものでもない。
外部から与えられる経験や情報が、自分の中に根を張り、内省と葛藤を踏み越えられる環境に住まうと、人も戦略的と呼べる自らの目標及び存在に向かおうとするものだと思っている。
考えや行動と、雰囲気や発する言語に一貫性が出てきたならば、それは自分と言う組織全体のふるまいを導くほどに繁殖した、一つの戦略性の具象である。
どのような状況と今後出会うのか、ということについての不確実性に対する備えが、戦略的な「ふるまい」と呼ばれる。
組織化された戦略的な思考と行動は、目を見張るようなふるまいと効果を生み出すだろう。
ただ、むやみにそれを推進すれば、できそこないの化け物が出来る可能性だってある。
幽霊との出会いに備えるような愚は避けなければいけないのである。
苔むした岩に自生するある種の、尺取虫は、苔むした岩になる。
しかしもうこの苔むした尺取虫は、通常の森の木々の中では目立ちすぎるのである。
素晴らしいか愚かかの分岐は、どのような組織体が、どのような環境と出会い、戦略的にどのように反応するかという、これまたすこぶる有機的かつ創造的な相関でもある。
人は誰でも、独自の戦略性を持ち、独自の戦略的感覚に添って行動するものであろう。
組織体としてまとまった効果性を欲するならば、おのずとふるまいを導くほどの繁殖を待たねばならないのではないか。
虫のようにある種のたまたまに任せることでも戦略は根を張るということだろう。
たまたま出来上がったものが、たまたまの状況でたまたまうまくいく。
しかしそのたまたまは、状況から学習する努力なくして出来上がるだろうか。
何かが私の中で育ち、そして根を張らない内に、よそから知識やお金を借り入れて、あれこれ悩んでもあかんのである。
ご利用は、戦略的に。