南無煩悩大菩薩

今日是好日也

軽重の待て。

2009-12-16 | つれづれの風景。

すすきの穂は軽い。軽いということは、重くないと言うことだが、風に吹かれて飛ぶ軽さは、軽やかであり、きれいでさえある。

ただ、風に飛ばされないと役に立たない。

軽くなくてはいけないのに重いと用をなさない。


文鎮は重い。重いということは、軽くないということだが、風に吹かれても紙を飛ばさない重さであり、たのもしくさえある。

ただ、風に飛ばされると役に立たない。

重さが軽いのだ。




軽い重いとは、その用途と機能と期待される責任の所在によって、その重さや軽さが求められる。

重すぎる文鎮は、使い勝手が悪く鬱陶しくさえある。

軽すぎるすすきの穂は、実にならないし、信用できない。


自分のなんたるかと、その軽重を理解しないものは、その世界での活動を制限されるだろう。



犬のようにお座りや「待て」を指図されなければならなくなるのだ。

そのウェイトでは、ウェイト。である。
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