南無煩悩大菩薩

今日是好日也

容易ではありません。

2013-09-01 | 意匠芸術美術音楽
(design/Charles Daoud)


あるいは「万引きの事」を考えたりしていると誰かが言った寝言のような謎の言葉に、多少の意味があるような気がする。

「富むことは美徳である。富者はその美徳をあまり多く享有する事の罪を自覚するがゆえに、その贖罪ために種々の痴呆を敢行して安心を求めんとする。貧乏は悪徳である、貧者はその自覚の抑圧に苦しみ、富の美徳を獲得せんと焦燥するために働きあるいは盗み奪う・・・・・・・」

・・・あらゆる理知の束縛を忘れ、当然な因果を考える暇もなく、盗賊の所行をあえてするようになる衝動はそれほど浅薄な不まじめなものばかりとも思えない。その衝動の背後には、卑近な物質的の欲望のほかに、存外広い意味において道徳的な理想に対する熱烈な憧憬が含まれているかもしれない。
もしたとえば、社会の組織制度に関するある理想に心酔して、それがために奪い殺し傷つける事をあえてする団体があるとすれば、どこかそれと共通な点がないでもない。

・・・いったい普通に使われれる利己と利他という二つの言葉ほど無意味な言葉は少ない。元来無いものに付せられた空虚な言葉であるか、さもなければ同じ物の別名である。
ただ、人を非難したり弁護したりするときや、あるいは金を集めたり出したりする時に使い分けて便利なものだからだれでも日常使ってはいるが、今自分の言っているような根本の問題には何の役にも立たないものである。

だれかこの疑問に対して自分のふに落ちるような解釈をしてくれる人はないものだろうか。
例えばいわゆる共産主義を論じる人達が現在の社会に行われているこの万引きというものをいかに取り扱うかが聞きたいものである。
-寺田虎彦随筆集「丸善と三越」より抜粋-
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