(画/仙厓義梵)
古池や芭蕉飛び込む水の音
池あらは飛て芭蕉に聞かせたい
古池や何やらぽんと飛び込んだ
芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句意を仙厓禅師は禅的に捉えてこんな三句をよんでいる。
「水の音」をどのように聞き取るかは、悟りの境地如何にかかわるという。「酒の味」をどのように利きとるかと似ているような気がしないでもない。
「門松は冥土の旅の一里づか、馬かごもなくとまりやもなし」と詠んだ一休禅師を想ったりする、もう正月も緒七日が過ぎたのである。
古池や芭蕉飛び込む水の音
池あらは飛て芭蕉に聞かせたい
古池や何やらぽんと飛び込んだ
芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の句意を仙厓禅師は禅的に捉えてこんな三句をよんでいる。
「水の音」をどのように聞き取るかは、悟りの境地如何にかかわるという。「酒の味」をどのように利きとるかと似ているような気がしないでもない。
「門松は冥土の旅の一里づか、馬かごもなくとまりやもなし」と詠んだ一休禅師を想ったりする、もう正月も緒七日が過ぎたのである。