南無煩悩大菩薩

今日是好日也

冥利あるところ。

2011-07-12 | 世界の写窓から
(photo by Victor Morozov)

南氷荒波 戸板一枚隔てた地獄

二つとてないこの命(めい)なれど

まかり落ちれば 三分(さんぶ)と持つまい

四の五は云わぬと定めた離港(わかれ)


ひい ふう みい よお いつ。
 

陸(おか)に残した 未練は六言(むつごと)

七海再び 腕と度胸が命綱

運不運は 八卦にまかせ

手繰り寄せるは 九死に一生

船乗り冥利は 十指に余る


むう なな やあ ここのつ とお。
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励ます手。

2011-07-11 | つれづれの風景。

訛ったあいさつ、はじめますて、ではない、励ます手 だ。


「言っとくがね、これは君の為なんだ。」

とポンっと肩をたたかれて、

「何いってやがる、てめぇのためだろ。」

なんてことを思うような人こそ、

ほんとの意味で励まされている。
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未確認の認証。

2011-07-09 | 世界の写窓から
(source)


「女性というものは愛される為にあるのであって、理解されるためにあるのではない。」-オスカー・ワイルド「語録」-


「女をよくいうひとは、女を充分に知らない者であり、女をいつも悪くいうひとは、女をまったく知らない者である。」-モーリス・ルブラン「怪盗アルセーヌ・ルパン」-


「あらゆる行為の一部は、わたしたちにとって抽象的である。
本能的で、斜めからわたしたちに襲い掛かってくる。
有機体に相伴う行為の様式には、理由もいわれもない。
わたしは、かなりな点で、わたしにとって抽象的である。
もしわたしがあるひとつの性に属していたら、突かれることになっていただろうし、もう一方の性に属していたら、突くほうになっていただろう。
またそこには、反転の余地も常にある。」-マドリン・ギンズ「ヘレン・ケラーまたは荒川修作」-
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美しき皺くちゃ。

2011-07-08 | 世界の写窓から
(source)

道を たずねた

老婆は答えた

上さまに行けば 山

下さまに行けば 海


どちらに行けば 極楽でしょう


どちらさまも天国

どちらさまも地獄

世界はあんたの思ったとおりになる。

-藤原新也「メメント モリ」より-
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大人(たいじん)なり。

2011-07-07 | 世界の写窓から
(source)

「注意」は、「こころぞえ」と覚え。

「義理」とは、「すじみち」と覚える。

萬人に尊敬(うやまい)慕わるる人はまた格別の心の行き方、未学を軽(かろ)んぜず下司(げす)をも侮らず、こころぞえをもってすじみちを通す事を覚えている。

なによりも、あわてずさわがず、義理と人情の機微を知って泰然としている。

森の賢人、ローランドゴリラのはなし。
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老幼の交わり。

2011-07-06 | つれづれの風景。

人間万事塞翁が馬、終わりよければすべてよし。

ダニエル・カーネマン博士は、ピーク・エンドの法則と名づけました。
「あらゆる経験の快苦は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合いで決まる。」


誰でも生まれるときは泣きながら生まれてきます。

そして生きる間に苦を楽に変える術を人間(じんかん)の交わりの中から見出します。

苦は楽の種 楽は苦の種 二人で作るは人の種。

しかるによって、終わりは機嫌を直して笑いながら・・。


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やらねば。

2011-07-05 | つれづれの風景。

夏の雲がもりもりもりともりあがってくるのをみると

わたしの中のなにかももりあがってくるようなきがする。

単純な私には効果的な動機付け。
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その先に。

2011-07-04 | 意匠芸術美術音楽
(photo by  W. Eugene Smith's 1946 photograph entitled The Walk to Paradise Garden)

「生きるということを人間の中心点として考えれば、そのままにしていて差し支えないでしょう。しかし美しいものや気高いものを一義に置いて人間を評価すれば、問題が違ってくるかも知れません」-夏目漱石「硝子戸の中」-


為す事、為される事には、そのひとなりの「一義」というものがあります。

そしてそれは、はからずもみずからの行く末を決め兼ねる逡巡ともなるようです。

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グローバル社会の中で日本を考える。

2011-07-02 | 世界の写窓から
source

今回のテーマはスキズキ目・スキズキ亜目・キス科についてです。

普通キスといえば日本でも全国的に分布しているが、産卵に至る過程、およびそのスキズキはますますグローバル化し多様化しており、近年輸入品にも多くを依存し、古来の江戸前の味を醸しだすのは困難になってきています。

適齢の絶対数の減少も懸念されてはおりますが、資源を保護し、養殖に頼らない、和食としてのキス科の個体数の増加が待たれるところであります。


では、我が国にも大きな影響を与えたと思われる海外のキス科についてみてみましょう。



(参考写真 TIME, LIFE, on line 他)









それではみなさん、また来週。
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