南無煩悩大菩薩

今日是好日也

それだけでないそれだけ。

2013-09-10 | 意匠芸術美術音楽
(artwork/Yoko Ono)

白いカンバスのほぼ中央、横に一本の線が、細く震えときにはとぎれながら、ほぼ直線で引かれている。
無造作にフリーハンドで描かれたものか計算された線なのかはわからない。

その少し下には、
This line is a part of very large circle
の文字。

それだけだがそれだけではないものだ。

僕は同じような感覚に陥ったことが以前に或る。
言葉で表すとこんな感覚だった。
・・・この 円 には 明確 に 定義 された 中心 はあるが はっきりめにみえる 外周 はない・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はてなの居候。

2013-09-09 | 古今北東西南の切抜
source)

いそうろう三杯目にはそっとだし、なぞといわれとかく肩身の狭いものが居候であります。


話は変わりますが、行動経済学用語に「確証バイアス」と謂われるものがあります。

「いったん決定を下したら、それが十分な情報に基づいていなくても、人はその決定を裏付ける証拠を探そうとし、反証となる材料は無視するか信用しなくなる。」といったようなことですが、平たく言うと、「考えをコロコロ変えるよりは間違った方がましだ、もしくは考えるのが面倒だ」というような心境で、ある種の心地よさを伴うようです。

同質性の中に居ると「腑に落ちる」ことは多くなります。つまり簡単に感嘆符が心の中に並んでしまい易いのであります。

気に食わない意見や考え存在も自分の頭の中で飼っておくことが、この罠を回避し、「信念の忍耐力」を高めてくれそうな気がします。


それはそうと、僕は宿主の方だろうか、それとも居候の方だろうか、

ハテナ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魚か鳥かあるいは。

2013-09-08 | 世界の写窓から
source)

私は、泳ぐ、そして、飛ぶ。

あるいは、跳ねる。

海にある三つの青いものは、

ひとつめが過去で二つ目が今、

そしてもうひとつ、

飛魚という私だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョーだいじ。

2013-09-07 | 古今北東西南の切抜
(photo/Fantastic VoyageⅡ)

ネイチャーの記事によると、健康は本当のところ、腸の問題だそうだ。

「非肥満者と肥満者の腸内細菌の遺伝子構成を分析し、遺伝子や微生物種の豊かさ(多様性)に著しい違いがあることを見いだした。こうした豊かさが低い場合には、肥満やインスリン抵抗性、脂質異常症、炎症が多く見られた。微生物の種数が少ない肥満者では、微生物種の数が多い肥満者よりも、体重が多くなる傾向が見られた。・・肥満者や体重過剰者に食餌療法による体重減少や体重維持のための治療介入を行った際の微生物プロファイルの変化を観察した。果物や野菜などの高繊維食の摂取を増やすと、微生物の種数が増加し、肥満に関連するいくつかの臨床症状が改善されることが分かった。これらの知見は、食餌と腸内微生物集団の組成とを関連付けた以前の研究を裏付けるもので、適切な食餌をとることで微生物相の恒久的な変化が達成できる可能性を示唆している。」

ということらしい。

そして「人間の腸内にすみ着いている微生物は、人間が自身のために進化させてこなかった代謝作業を肩代わりしている。ある意味では、腸内微生物の遺伝子は「ヒト」という「メタゲノム」の一部だと言える。」

だということだそうだ

他にも、肥満の人の腸内細菌を腸内を滅菌したラットに移植したところ、ラットもファットになった。という記事もあった。ただこの実験では、変化のなかった非肥満者のそれを移植したラットでも、高カロリーの餌を与え続けるとやはりファットになったそうだ。

私が勝手に思うに、肥満には三種類の肥満がありそうだ。食い意地のはった肥満と、微生物学上の問題での肥満、そして自分を肥満と思っていない肥満の。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デフォルメされた顔。

2013-09-06 | 意匠芸術美術音楽
(make-up artist Valeriya Kutsan)


化粧も芸術であり美術であり意匠を伴う。

キュビズムであったり、ポップアートであったり、シュールリアリズムであったりと、その主義も表現性にも微妙に個人差があるようだ。

むろんモダニズムであり、ファッショントレンドにも左右される。

美しい人は写実主義に則りより素材を活かす技術、そうでない人はよりトロンプルイユ、いわゆるトリックアートの技術を駆使するのであろう。

ただこの話に大した意味はない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おしもおされもせぬ、放尿。

2013-09-05 | 世界の写窓から
(original unknown)

堂々である。

開闊である。

悟性の滴りである。

機と的を得ること、天使のごとし。

放下着である。

百の知識千の理屈万の言葉より一筋の放尿が、頭を冷やす。

小便小僧の由来は、そんなところにあったのかもしれませんなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同列に扱うことの弊害と利点。

2013-09-04 | 古今北東西南の切抜
(photo source)

カスパロフ(チェス世界王者)は97年にIBMのコンピュータ「ディープブルー」に1勝2敗3分けで敗れ、そしてこれを「コンピュータがチェス王者に勝った驚くべき事件」だと信じている人も少なくない。
同じことが、2012年に米長邦雄永世棋聖が将棋コンピュータ「ボンクラーズ」に敗れた時もマスコミでさんざんに吹聴された。
だが、これは全くの誤解である。
「機械が人間に勝った」わけでは全然なく、秀才のR&D(研究開発)担当者たちが知恵を絞り、コンピュータの力を借りて大天才のプロに勝利しただけの話なのだ。
コンピュータが自分でプログラムを書いたり、過去の棋譜を集めてデータベースをつくったりしたとでもいうのだろうか。
コンピュータと人間の頭脳を単純比較する愚かな思い込みから我々はそろそろ卒業しなくてはならない。
(切抜/ハーバードビジネスレビュー 2013.9月号)



おまけ

(photo source)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョーこわい。

2013-09-03 | 閑話休題
source)

・・・

ほかにも、

チョーむかつく!

なんていう人もおりますが、私は「胃がむかつく」ことはあっても「チョーがむかついた」ことがないのでわかりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハラスメントの罪と罰。

2013-09-02 | 意匠芸術美術音楽
(source/HARAKIRI 1962)

ハラスメント(harassment):悩ます[悩まされる]こと。嫌がらせ、厭がらせ 。悩み(のたね)。意図的に不快にさせることや、道徳(モラル)のない行為の一般的総称。


小林正樹監督の映画「切腹」は、中世社会の大義(きれいごとを並べる)と加虐性(および自虐性)などを私たちに考えさせる佳い作品だが、思うのは同時にいつの時代にも、モラルも変われば、ハラスメントなるものもその質を変えて人間社会の中には「ある」ということだ。

武器刃物を捨てた現代社会には、中世の「成敗」という概念はない、また「侮辱」や「愚弄」ということに対する「罪の意識」も薄れてきているように思える。

それもまだ、侮辱には侮辱で、愚弄には愚弄で、いけずにはいけずで、やられてやり返すことのできる人はいいが、やり返せない人に対するハラスメントが主流のようであるところに「罪」の本質がある。

饒舌で機知にとんだ「不正」が、無言の「正義」を侮辱し愚弄する。

そういう本物の「ハラスメント」に対して、現代法治社会でもそれに見合った「罰」が下っているのだろうかと、映画を見て思ったりした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

容易ではありません。

2013-09-01 | 意匠芸術美術音楽
(design/Charles Daoud)


あるいは「万引きの事」を考えたりしていると誰かが言った寝言のような謎の言葉に、多少の意味があるような気がする。

「富むことは美徳である。富者はその美徳をあまり多く享有する事の罪を自覚するがゆえに、その贖罪ために種々の痴呆を敢行して安心を求めんとする。貧乏は悪徳である、貧者はその自覚の抑圧に苦しみ、富の美徳を獲得せんと焦燥するために働きあるいは盗み奪う・・・・・・・」

・・・あらゆる理知の束縛を忘れ、当然な因果を考える暇もなく、盗賊の所行をあえてするようになる衝動はそれほど浅薄な不まじめなものばかりとも思えない。その衝動の背後には、卑近な物質的の欲望のほかに、存外広い意味において道徳的な理想に対する熱烈な憧憬が含まれているかもしれない。
もしたとえば、社会の組織制度に関するある理想に心酔して、それがために奪い殺し傷つける事をあえてする団体があるとすれば、どこかそれと共通な点がないでもない。

・・・いったい普通に使われれる利己と利他という二つの言葉ほど無意味な言葉は少ない。元来無いものに付せられた空虚な言葉であるか、さもなければ同じ物の別名である。
ただ、人を非難したり弁護したりするときや、あるいは金を集めたり出したりする時に使い分けて便利なものだからだれでも日常使ってはいるが、今自分の言っているような根本の問題には何の役にも立たないものである。

だれかこの疑問に対して自分のふに落ちるような解釈をしてくれる人はないものだろうか。
例えばいわゆる共産主義を論じる人達が現在の社会に行われているこの万引きというものをいかに取り扱うかが聞きたいものである。
-寺田虎彦随筆集「丸善と三越」より抜粋-
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする