病院はかなり環境よくなって,患者ならぬお客様の痒いところに手が届くようなサービスを提供するのが普通化してきている。患者であるこちらも、こんなに快適で良いのかと最初は感動していたけど、その待遇に慣れるとそれが当たり前になり、いまやこちらもお客様になっている。
と、最近通っている眼科に行くたびそう思う。
9時10分に到着し,ギリギリ1台分空いている駐車場に車を入れ、今日はいつもより混んでいるかもしれないと思いながら診察券を出すと、「今日は混んでいますから、1時間以上待ちますがよろしいですか?」と受付嬢に聞かれた。病院で1時間待つなんてことは当たり前。次の人には「1時間半待つけど」と時間が増えていたから,待つのは1時間~1時間半あたりなんだなと理解。こういうことを事前に言っておかないとなかには怒り出す人がいるのかもしれないね。これは病院側の危機回避なんだろうなと思う。
待合室にはテレビが二つあり、別のチャンネルに合わせている。「お好きな方をご覧になってお待ち下さい。」ということ。先日のアルファカップの活動報告書を作りながら順番を待ち1時間ほどが過ぎた頃、背中合わせのソファのおじいさんに受付嬢が何か説明にやってきた。それは受付側の手違いで,待ち時間が延びてしまったとの説明と詫び。それを聞き、受付嬢が去ったあとおじいさんは急激に不機嫌になり、「もう5時間も待たされている」と付き添いのおばあちゃんに当たり散らし始めた。背中にいるから顔はみえないけど、射程距離に不機嫌な人がいるというのは嫌ですね。不快オーラに待合室が包まれ始めた。5時間待つなんて、おじいさんいったい何時にここ来たんや?と心で突っ込み入れる、恐らく皆が。
先日行って全く相手にされなかった大学病院はとてもきれいだった。患者は番号で管理され、今何番の人を診察中で,自分はあと何人待てば良いのかが電光掲示板に表示されるのでわかる。そして診察室にいる先生がマイクで番号を使って患者を呼び出す。よくできたシステム。しかしこの眼科は、これだけ新しい工夫がちりばめられているのに、そういう掲示板はなく放送で患者を呼び出すこともない。患者を呼ぶ方法は原始的で、診察室のドアをあけピンクの白衣の看護士が名前を呼びに立つ。こういうところは古いやりかたのまま。
患者が診察室に入退室する時、すなわち診察室のドアを開け閉めする時,先生や看護士の声がよく聞こえる。「○○さん、こんにちは。お待たせしてごめんなさいね。」と先生は明るく,元気よく声をかける。そして患者が診察室を出るときはきまって「がんばってね。」と言う。
ようやく先のおじいさんの名前が呼ばれた。おじいさんはガンガンと床を踏み鳴らしながら診察室に向かう。ブツブツ何か言っている。その後先生とどんなやりとりしたのかはわからないけど,診察を終えそこから出てきたおじいさんは普通の人だった。不快オーラ張本人のくせに、自分が振りまいた不快空間に戻りながら何事もなかったかのように振る舞う。診察室を出るおじいさんのその背中に,先生も看護士も再度「お待たせしてごめんなさいね」と付け加えていた。
2時間が過ぎただろうか。ピンクの看護士が診察の患者の名前を呼ぶと,待合室にはいない。すると先生が出てきた。「○○さーん。僕は顔がわかるから」と言いながら待合室を見渡す。そのまま先生が次の人の名を呼ぶ。どうしたものかその人もいない。そして次は自分だった。立て続けに3人の名前呼んだから直前にカルテ見ているとは思えないのに、先生は私の顔を見ると「痛み大丈夫だった?」といいながらそそくさと席に戻る。
これだな、と思う。
患者をお客様と言いながら体よく消費者として扱うのではなく、ここでは「人」と「人」の関係なんだな。
ドアの向こうの待合室の不快オーラを感じた先生は自ら患者の名前を呼びに来てその場を和ます。しかもそれはテクニックでもなんでもなく、気持ちでとった行動なんでしょ。
つくづくこの先生はすごい人だな、そして仕事楽しんでいるのだなと思った。
先の大学病院のシステムは病院側のためにある。いかに合理的に患者を管理し効率良く診察をこなすか。あげくの果てには「この程度なら近所の医者に行って」と言ってろくに診察しないで患者を追い返す始末。大学病院で手術するようにと町医者に言われて行ったのに相手にしない大学病院。
「近所のお医者さん正しかったね。手術してよかったよ。先生に手紙書いておくから持って行って」
ここまでピタリと寄り添う。もうノックアウト。
と、最近通っている眼科に行くたびそう思う。
9時10分に到着し,ギリギリ1台分空いている駐車場に車を入れ、今日はいつもより混んでいるかもしれないと思いながら診察券を出すと、「今日は混んでいますから、1時間以上待ちますがよろしいですか?」と受付嬢に聞かれた。病院で1時間待つなんてことは当たり前。次の人には「1時間半待つけど」と時間が増えていたから,待つのは1時間~1時間半あたりなんだなと理解。こういうことを事前に言っておかないとなかには怒り出す人がいるのかもしれないね。これは病院側の危機回避なんだろうなと思う。
待合室にはテレビが二つあり、別のチャンネルに合わせている。「お好きな方をご覧になってお待ち下さい。」ということ。先日のアルファカップの活動報告書を作りながら順番を待ち1時間ほどが過ぎた頃、背中合わせのソファのおじいさんに受付嬢が何か説明にやってきた。それは受付側の手違いで,待ち時間が延びてしまったとの説明と詫び。それを聞き、受付嬢が去ったあとおじいさんは急激に不機嫌になり、「もう5時間も待たされている」と付き添いのおばあちゃんに当たり散らし始めた。背中にいるから顔はみえないけど、射程距離に不機嫌な人がいるというのは嫌ですね。不快オーラに待合室が包まれ始めた。5時間待つなんて、おじいさんいったい何時にここ来たんや?と心で突っ込み入れる、恐らく皆が。
先日行って全く相手にされなかった大学病院はとてもきれいだった。患者は番号で管理され、今何番の人を診察中で,自分はあと何人待てば良いのかが電光掲示板に表示されるのでわかる。そして診察室にいる先生がマイクで番号を使って患者を呼び出す。よくできたシステム。しかしこの眼科は、これだけ新しい工夫がちりばめられているのに、そういう掲示板はなく放送で患者を呼び出すこともない。患者を呼ぶ方法は原始的で、診察室のドアをあけピンクの白衣の看護士が名前を呼びに立つ。こういうところは古いやりかたのまま。
患者が診察室に入退室する時、すなわち診察室のドアを開け閉めする時,先生や看護士の声がよく聞こえる。「○○さん、こんにちは。お待たせしてごめんなさいね。」と先生は明るく,元気よく声をかける。そして患者が診察室を出るときはきまって「がんばってね。」と言う。
ようやく先のおじいさんの名前が呼ばれた。おじいさんはガンガンと床を踏み鳴らしながら診察室に向かう。ブツブツ何か言っている。その後先生とどんなやりとりしたのかはわからないけど,診察を終えそこから出てきたおじいさんは普通の人だった。不快オーラ張本人のくせに、自分が振りまいた不快空間に戻りながら何事もなかったかのように振る舞う。診察室を出るおじいさんのその背中に,先生も看護士も再度「お待たせしてごめんなさいね」と付け加えていた。
2時間が過ぎただろうか。ピンクの看護士が診察の患者の名前を呼ぶと,待合室にはいない。すると先生が出てきた。「○○さーん。僕は顔がわかるから」と言いながら待合室を見渡す。そのまま先生が次の人の名を呼ぶ。どうしたものかその人もいない。そして次は自分だった。立て続けに3人の名前呼んだから直前にカルテ見ているとは思えないのに、先生は私の顔を見ると「痛み大丈夫だった?」といいながらそそくさと席に戻る。
これだな、と思う。
患者をお客様と言いながら体よく消費者として扱うのではなく、ここでは「人」と「人」の関係なんだな。
ドアの向こうの待合室の不快オーラを感じた先生は自ら患者の名前を呼びに来てその場を和ます。しかもそれはテクニックでもなんでもなく、気持ちでとった行動なんでしょ。
つくづくこの先生はすごい人だな、そして仕事楽しんでいるのだなと思った。
先の大学病院のシステムは病院側のためにある。いかに合理的に患者を管理し効率良く診察をこなすか。あげくの果てには「この程度なら近所の医者に行って」と言ってろくに診察しないで患者を追い返す始末。大学病院で手術するようにと町医者に言われて行ったのに相手にしない大学病院。
「近所のお医者さん正しかったね。手術してよかったよ。先生に手紙書いておくから持って行って」
ここまでピタリと寄り添う。もうノックアウト。