毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

車いすでは通れない道  2010/11/4  No.7

2010-11-04 20:55:03 | 中国事情
 兵庫の尼崎や西宮で主に活動しているホンワカのんびりバンドがある。「シャーシーバンド」という名前だ。メンバーの何人かは車いす生活者だ。半分本気で、ここ南昌でライブをしてもらえないかなあと考えていた。しかし、毎日歩いていてこの道、この建物では無理だという結論に達した。

 歩道が問題だ。すごい段差だ。20~30cmぐらいか。「よいしょっと!」と掛け声をかけなきゃならないところもざらにある。
 歩道の上に当たり前の如く異物があったりもする。例えば宿舎から一番近いスーパーまでちょっと買い物に行くのでも、学校の門を出て左折するやいなや、歩道の上に1m四方、厚さ10cmほどのコンクリートが張り付いている。
慣れないうちはそれを見る度にギョッとなり、何度も自分に(けつまづくなよ、骨折しても言葉分からんから病院に行かれへんねんで)と言い聞かせつつ慎重に横を通り過ぎたものだった。なぜあんなものが歩道にべったり張り付いているのか、いまだに分からない。工事中の壁がとんできたのかなあ。
 歩道が終わるところの段差がキツイと感じる人は決して私だけではないことは次のことからも分かる。歩道の終わりが何かで叩き壊されて崩れ、したがって段差も崩れて通りやすくなっているのだ。歩道を作る時、なぜこれくらいのことが分からないのだろう。それが不思議だ。

 随所にそうした(何考えてんねん!)という設計がある。
今日も学生の一人と校舎の廊下から昼の食堂へ急いでいたときだ。遠くからは廊下の終わり方が何か唐突に見えたが(きっと端まで行けば階段が2、3段あるのだろう)と善意に解釈してというか、日本での暮らしで身に付けた思いこみをもってというか、とにかくTHE END OF THE 廊下までペチャクチャしゃべりながら進んで行った。何もなかった。飛び降りるようにその廊下から外に出ながら、ついつい「信じらんな~い!」と叫ぶと、その学生は「中国はバリアフリーは一つもありません。発展途上ですから。」と微笑みながらも、ちょっぴり情けなさそうに言った。「でも、きっと将来中国は良くなります。」と彼女は力強く続けた。私も本当に早くそうなることを願う。

 車道についても、おや?と思ったことがある。
人通りが多い所には車道を横切って、端から端まで幅30cm、高さ10cmくらいの一本の太い棒みたいなのが張り付けてある。20mほどの間隔で何本もあるので、スピードを落とさずに走ると当然派手にバンピングする。それを避けて車はソロソロと低速で進む。
「そんなものを道路に張り付けなくても制限速度を守ればいいんじゃないの!」とプリプリ文句を言う私に学生たちは、「中国は発展途上ですから。交通ルールはまだまだ浸透していないんです。」と穏やかに中国を代表して釈明するのだ。
 習い覚えた丁寧体の日本語で一生懸命説明したり、恥じ入ったりされる度に私は、学生たちに申し訳ないような複雑な気持ちになってしまう。中国に生まれ育ったのは彼らの選択ではない。しかし、彼らはいつも健気に中国を背負って立ち、愛する中国の現状と課題を(もちろん、言えることと言えないことの判断もきっちりしつつ)、いざとなればいつでも日本に帰ってしまう私に対して、目をキラキラさせながら語るのだ。

 ところで、8月末にこちらに着いたころは、朝っぱら早くからとてつもないバンピング音を出しながら走っていく胴体の長いトラックの騒音に、やはり「信じらんな~い!」と叫んでいたが、ふと気がつけばこの頃あんまり気にならなくなっている。慣れるか病気になるか、どちらかを選ぶとき、私の体はいつも、あっという間に慣れる方を選択している。これも長い人生の中で鍛錬し、体得してきたのか。
コメント
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