毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

学生の日記から① 2010年11月22日    No.13

2010-11-22 18:38:23 | 中国事情
 昨日まで目をつり上げてテスト作成をしていた。終わったとたん熱が出て、奥歯も疼き、取りあえず作文の添削もせずに布団をかぶって寝た。
今日改めて学生の作文を読むと、なんだか嬉しくなった。2人ほど紹介したい。長いので今日一人、明日も一人ということで~。

 「意識の流れに沿った考え事」 範 夢○

 能力試験が近づいているとともに、みんなは日ごとに勉強に励んでいる状態だ。どんなときに日記を書きたいかというと、「心が乱れて静めたいとき」が正解だと思う。今学期が始まって以来、進学のことにずっと迷っている。はっきりしたことは分からないが、何しろ1級試験の成績がごく重要だと言われている。能力試験の準備をきっかけに、自分の日本語を一層上達させるつもりだ。
 7月の1級の成績から見ると、聴解は穴だ。日本語勉強のウブサイトで、聴解のネタとしてNHKニュースを聞いている。もう大学生だと言っても、殆どみんな時事に関心を持っていない。自分もそうだ。普段テレビを見ないので、どこで何があったか一切知らない。
 でも、最近のNHKニュースを聞いてからというもの、気分が重くなった。もちろんニュースを聞くだけで内容は3分の1しか理解できないので、そのニュースの原稿も読む。(原稿というのは、日本語の達人の方がニュースをよくよく聞いてから、その内容を記したものだ。)
 今、中日関係はぎくしゃくしているようだ。この状態は両方にとって良くないと思う。こうしたあげく、将来留学ができなくなるかも知れないと考えたこともある。
 英語では“No news is good news.”という諺がある。日本語の同じ意味の言葉は何だろう?「便りのないのは良い便り」かな。今テレビやインターネットで流れてくるニュースは、悪いニュースばかりなので、中日両国の普通の人たちはこんなニュースを見ると、腹立つことも免れないだろう。従って、両眼は怒りで覆われて、仲はさらに悪くなるだろう。(う~う~)(←註:ほぼ同じような絵が描かれていた)
“No news is good news.”は、角度を変えてみると、逆にいいことはニュースに載せないということだと思う。
 大学入学以来、いろんな日本人の先生に会いました。大阪からの親切なお爺さんや優しい女の先生は、いつも学生達と一緒に買い物したり、遊んだりしている。週末は元々先生方の休憩時間なのに。先生方は自分の時間を犠牲にして、学生の話す能力を高めるために、日本語コーナーを作った。うちの学院(註:日本語では学科)に小さい資料室がある。そこにいろいろな種類の日本からの原版本がある。以前ここで働いていた日本人の先生は、自分の懐を痛めて、こちらの日本語学科の先生と一緒にその資料室を作った。これらの本を読むたび、心から、心から感謝の気持ちで一杯になる。
 同じように、私たちはいろんな日本の方が中国にいる間、熱情を傾けてもてなす。(こんな事を自分の口で言うのははずかしい!)日本の方々はどう思うのか、分かるとは言えないけど、でもちょっと嬉しい気持ちがあるだろう。
 ところが、以上の良いことはホンマに小さくて、全然ニュースには載らない。ただ、このような小さなことからこそ、私たちと日本人の先生は、両方の考え方や気持ちが分かるようになった。どうしてニュースの中では、両国の友好のことを載せないかね。
 今回の紛争に対して、極端に走る人もいるそうだ。「前車の覆るは後車の戒め」。過去から教訓をくむべきだと思う。過去はいろいろ悲しいことがあって、両方の心に深い傷が残っている。両方は決して過去を忘れられないと言っても、ひたすら過去に拘ると、将来の発展を語ることができない。
 私はただ人並みな学生の一人として、日本の方に中国の他の面を知ってもらいたいと思う。

 P.S.今日授課の時、先生の話にちなんで、涙が出るほど感動して、以上の内容を書いた。(「泣き虫の娘だね」と思っているでしょう。)もし、日本の方がみんな先生のような人であれば、双方はきっと相互理解が実現できると思います。「平和・友好」という四つの文字を胸に刻んでいます。このような世界が来るまで、ずっと心から願ってやみません。
コメント (2)
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