3年の黄さんが3日間だけのゴールデンウィークに家に帰り、お土産に家の近くの竹林のタケノコをたくさん採ってきてくれた。日本のスーパーで一般的にタケノココーナーに置かれているのはゴロンと太い種類のものだが、黄さんが資料室でせっせと、友だちの劉さんとともに皮むきをしてくれたタケノコは、細く棒状に尖った30cmほどのものだった。江西省のタケノコはもっぱらこの種類だそうだ。後から河北省出身の範さんも来て、皮むきを手伝ったが、彼女はこの種類のタケノコは記憶にないと言う。しかし、彼女は祖父母、両親に囲まれ、蝶よ花よと育てられた一人っ子なので、台所の手伝いは皆目したことがない。ということは、河北省にあるかないか、彼女の記憶だけに頼るのは危険かも知れない。
夜、黄さんに教わった調理法とは似ても似つかぬ、タケノコの卵とじを自分勝手に作って食べた。ワクワクしながら口に入れると、茹でて小口切りしたタケノコは、ポリポリして、しかも固すぎず、なかなかの美味しさだった。何と言っても皮ごと故郷から運んで、資料室で皮をむいた後、数時間で調理された新鮮さが、口の中にフワーッと広がった。数日経つとまた味が変わるのだろう。たくさんもらったので、管理人室のミズ劉にお裾分けした。
翌日は、雑炊に入れた。これも意外と言えるほど美味しかった。
連休中は雨が降ったので、一気にたくさんのタケノコが伸び、お母さんと黄さんは、私や2人の学友のお土産にせっせと採ってくれたのだという。
黄さんは、一浪して財大に入った。彼女は長女で、小さい頃から両親の期待を一身に受けながら育ったので、入試に落ちたときは相当落ち込んだそうだ。期待に背いた申し訳なさと、浪人したらどれほどお金がかかるかという心配で、人生がお先真っ暗だったそうだ。
それまでもお父さんは、黄さんと、弟妹3人の学費のために、夜中の1時にバイクで家を出発し、工場で働いて夕方帰ってきたときは、いつも硝石の粉にまみれて真っ白だったそうだ。それでも黄さんの両親は、「君は私たちの誇りだ。もう一度大学に挑戦してみなさい。お金の心配はするな。」と後押ししてくれた。彼女は、海外旅行どころか、お金がないため、この間の廬山旅行も私たちと一緒に行かなかった。ゴールデンウィークは、両親が待っているので帰ってあげなければいけない。廬山に行くお金はない、という結論だった。もともと、廬山行きは彼女の友人が廬山の麓の九江市に住んでいるので、黄さんが連れて行ってくれるという計画だったのだが、結局、肝心の黄さん抜きで私たちは厚かましく出かけて行ったのだった。
学生たち一人一人、いろいろな出自があり、必ずしも貧乏な家庭出身の子ばかりではないが、とりわけ江西省出身の子達は貧しい農家出身者が多い。1978年からの改革開放政策では、まず沿海地域の経済促進を第一にしてきたため、内陸の省は経済発展から取り残された。今、少しずつ農村の経済状況は改善されてきたというが、まだまだだ。ちなみにこの江西省の中国でのニックネームは「農業大省」だ…。
こんどこのメンバーで旅行するときは、何としても黄さんも一緒に行こうと思う。
夜、黄さんに教わった調理法とは似ても似つかぬ、タケノコの卵とじを自分勝手に作って食べた。ワクワクしながら口に入れると、茹でて小口切りしたタケノコは、ポリポリして、しかも固すぎず、なかなかの美味しさだった。何と言っても皮ごと故郷から運んで、資料室で皮をむいた後、数時間で調理された新鮮さが、口の中にフワーッと広がった。数日経つとまた味が変わるのだろう。たくさんもらったので、管理人室のミズ劉にお裾分けした。
翌日は、雑炊に入れた。これも意外と言えるほど美味しかった。
連休中は雨が降ったので、一気にたくさんのタケノコが伸び、お母さんと黄さんは、私や2人の学友のお土産にせっせと採ってくれたのだという。
黄さんは、一浪して財大に入った。彼女は長女で、小さい頃から両親の期待を一身に受けながら育ったので、入試に落ちたときは相当落ち込んだそうだ。期待に背いた申し訳なさと、浪人したらどれほどお金がかかるかという心配で、人生がお先真っ暗だったそうだ。
それまでもお父さんは、黄さんと、弟妹3人の学費のために、夜中の1時にバイクで家を出発し、工場で働いて夕方帰ってきたときは、いつも硝石の粉にまみれて真っ白だったそうだ。それでも黄さんの両親は、「君は私たちの誇りだ。もう一度大学に挑戦してみなさい。お金の心配はするな。」と後押ししてくれた。彼女は、海外旅行どころか、お金がないため、この間の廬山旅行も私たちと一緒に行かなかった。ゴールデンウィークは、両親が待っているので帰ってあげなければいけない。廬山に行くお金はない、という結論だった。もともと、廬山行きは彼女の友人が廬山の麓の九江市に住んでいるので、黄さんが連れて行ってくれるという計画だったのだが、結局、肝心の黄さん抜きで私たちは厚かましく出かけて行ったのだった。
学生たち一人一人、いろいろな出自があり、必ずしも貧乏な家庭出身の子ばかりではないが、とりわけ江西省出身の子達は貧しい農家出身者が多い。1978年からの改革開放政策では、まず沿海地域の経済促進を第一にしてきたため、内陸の省は経済発展から取り残された。今、少しずつ農村の経済状況は改善されてきたというが、まだまだだ。ちなみにこの江西省の中国でのニックネームは「農業大省」だ…。
こんどこのメンバーで旅行するときは、何としても黄さんも一緒に行こうと思う。