毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

とぐろ巻く日本  2011年5月29日(日) No.139

2011-05-29 22:49:00 | 日記
 ちょっと離れたところから見える日本は今、大渦巻きにグルグルかき回されているようだ。
福島原発に始まるあちこちのボロ原発の不穏な情報もある。さらに地震・津波の被災地で、懸命に立ち上がろうとしているその時、大阪府知事の橋本さんは、「式典で君が代を歌うとき、起立しない職員を罰する」という条例を定めようとしていると聞いた。
 日の丸・君が代に関して、「日本人なら当然でしょ!イヤなら出て行け。」「公務員のくせに国が決めた法律を守らないのは話にならない。処分は当然だ。」という発言は、日本に居るときから耳にタコができるほど聞いた。そして、聞く度に(ああ、どっか行きたい。こんな国イヤ!)と思ったものだ。

 日本はどうしてここまできれいサッパリ過ぎ去った当時の事情を無視することができるのか。日の丸・君が代が国旗・国歌として法制化された1999年8月の暑苦しい日のことを、私はちゃんと覚えている。
ちょうど当時18歳の息子がオーストラリアから戻った日のことだった。息子は帰って来るなり、
「日本は滅びる!」
と叫んだので、てっきり国旗国歌法案が法制化されたことを言ったのかと思い、
「ええ?さっき国会で通ったばっかりなのに、もう知ってんの?」
と驚くと、彼が言いたかったのは「国が滅びるほどの暑さだ。」と言うことでした…。

 そんなことはどうでもいい。国旗国歌法案が通過したとき、「敬意を示すことは強制できない、しない。」ということがその時の確認事項だった。何故そんなことを覚えているかというと、訳がある。

「日の丸」については、兵隊として戦争にかり出された庶民を送るとき「死んでこいよ!」と言って振られていたのがこの日の丸の旗だ。私には戦争グッズの一つとしか思えない。母の兄が北海道の斜里駅で、まさにその通りの言葉と旗で送られ、言われた通り死んで帰って来たことを、母から聞かされている。
 ここ中国に来て、日中友好を前向きに考えている学生から、
「日本はどうしてドイツのように自国の侵略戦争について反省しないんでしょう。ドイツではハーケンクロイツのドイツ国旗をやめたのに、日本は続けていますよね。」
と言われたことがある。日本の反省については、戦後50年の節目に当たっての村山談話を伝えると、一様に「そうですか。それは知りませんでした。」と驚く。しかし日の丸については、こちらも言い訳しようがない。日本に侵略された国々から見れば、日の丸とナチスドイツの旗は同じ意味を持つのだから…。
「君が代」はどうひっくり返っても天皇制礼賛ソングだ。私にとって、それらは従来「敬意」ではなく「嫌悪」の対象だった。
法制化されたと聞いて、(ああ、明日から教師やっていけない…。)ド~ンと暗く沈んだ気分になった私の耳に、時の総理大臣小渕恵三さんが、慰めるように「国旗掲揚とか国歌斉唱とかは強制しません。」と言ったので、(じゃ、まだ仕事やっていけるかも)と、暗闇の中に一縷の光を感じた言葉として心に刻印されているのだ。それはたかが当時の総理大臣の個人的独り言ではない。日本の立法府の頂国会での答弁だ。法制化反対の国民の声が根強い中の強行採決だったので、小渕さんは(ごめんね~、無理言って~)ということで配慮を示したのだと理解している。こういう事情があったという事実は、12年経っただけで簡単に反古になるのだろうか。

 「日本人なら、国旗・国歌を尊重して当然だ。」という短絡的発言は、「日の丸・君が代」をめぐる議論の経過を全く無視した発言だ。「日本人つったって、いろいろ考えあるんだよ!自分の狭苦しい考えだけが正しいと思うな。バー○!」と言いたい。ものごとの歴史とか経過とか無視して、現在ある姿だけ見るのでは、表層しか捉えられない。こう考えてみると、中国人が60年以上前のことを昨日のことのように覚えているということは、とてもすごいことのように思える。忘れっぽい一部の日本人たちに、爪の垢を煎じて飲んでもらいたいですね。
コメント
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