毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

ボツ原稿   2011年5月25日(水) No.137

2011-05-25 09:37:09 | 中国事情
 あと一ヶ月も経たないうちに油照りの南昌の夏が来るのが想像できない今日のうすら寒さ。20℃にもなっていない。今日だけ見れば長春より低温だ。廬山から帰ってすぐに引いた風邪が一ヶ月、治りきらずにぐずぐずしているのは、この変わりやすい天候のせいだと思う。

 この前の号でスピーチコンテストの話を書いた。選考会で惜しくも落選した陳さんのスピーチ内容をほぼ全文ここに載せる。彼は、この9カ月の私の授業の中で、常に一生懸命話を聞き、坂本九の「上を向いて歩こう」を律儀にメモし、趙博さんによるその替え歌詞「涙がこぼれたっていいじゃないか~」に目を輝かせて頷いていた子だ。(これを読むと「いったいどんな授業をしているんだ?」という疑念が湧くかも…。たまにね、ほら、余談とか。)
彼のスピーチ原稿には、私もなにがしかの責任を感じている。(「いいね~!これ。」とか褒め称えたし。)それが日の目を見ることもなく、ゴミ箱に捨てられるのは残念だ。せめてこのブログで紹介したい。言いにくい歴史問題にも勇気を持って触れた彼の気持ちを意気に感じて、誰か彼を「日本一週間招待」とかしてくれないかなあ…。


 「中日友好のために自分ができること」 (陳○○)

 皆さんは日本語学科の学生になったばかりの時、「君は、なぜ日本語を勉強するのですか。」と、よく質問されたことでしょう。私は、初め、単純に日本語に興味があって、翻訳者になりたかったのですが、時が経つにつれて、自分が他にもっとすべきこと、そして、もっとできることがあると感じるようになりました。

  先学期、私たちは日本の方から手紙をもらいました。宿題としての返事に、私はつい『日本は歴史について、よく反省していなかった』と書きました。そしてその三日後、先生は宿題のノートの間に、村山元総理の謝罪声明の資料を挟んで返してくれました。その資料を読んだ後、『そうか、日本は正式に謝罪したことがあるのか』とびっくりしました。

 中日交流のもっとも大きな壁は、やはり歴史問題です。この壁を取り除くために、一番大切なのは、政治家だけではなく、私達のような、相手の国の状況をよく理解する者一人一人の存在です。私は、中日交流の橋を造るために、たとえひとつの小さい石であっても、それになれるとしたら幸いです。
 一年生の時、日本語の先生は私達に中国の地図を書かせたことがありました。残念なことに皆が描いた地図は間違いだらけでした。先生はあの時こう言ってくださいました。『他国を理解するために、まずは自分の国のことを理解すべきだ』と。今考えて見ると、その通りだと思います。中日交流に、今私ができることは、まず、自分の国のことをしっかり理解して、きちんと日本の方々に伝えることだと思います。

 私は今、日本語ガイド試験の準備をしています。ガイドになるために、まず中国の歴史や風俗習慣など、様々な知識を得なければなりません。将来もし私がガイドになって、チャンスがあれば、ぜひ日本の方々に自分の国のことをよく伝えたいと思います。
 中日交流について、私達日本語学科の学生は、有利な条件を持っています。それは日本語です。三年生の私は、自分の責任を強く感じています。日本語の勉強を通じて、より一層日本を理解して、我が国の皆さんがまだ知らない、知るチャンスがない日本のことを伝えることが、もう一つのすべきこと、またできることだと思います。

 この間、私は日本の作家、妹尾河童が書いた『少年H』という小説を読みました。この本を通じて、私は初めて、中日戦争の間の日本の庶民たちの生活を理解することができました。あの時代の庶民たちにも、中国人のような悲惨な運命があったことは、たぶん中国の皆さんはほとんど考えたこともないでしょう。私はこの小説を読んでいるうちに、自分の歴史についての認識が、以前より深くなりました。しかしながら、中国では、このような本はあまり出版されていません。もしこの本が中国語に翻訳されて、たくさんの中国の皆さんが読めば、過去のためにお互いを敵視する人は少なくなるでしょう。

 日本語は中日交流を前進させるために、便利な条件であり、壁を取り除く強力な武器であります。交流を円滑に進めるためには、日本語を上達させなければなりません。こう思って、私は今学期、隣の学校と行った合同日本語コーナーに、積極的に参加しました。そしてまた今回のスピーチコンテストに参加するために、ここに参りました。

 中日両国人民の友好往来は2000年以上に渡っています。中日交流の歴史を知るのも、わたしにとって、一つのできることだと思います。1972年中日国交正常化が実現されました。今、歴史を鑑とし、新たなスタートラインに立ち、真摯な期待を抱いて、未来へ向かう。
わたし、そして私たちは、これが必ずできるはずです。
 平凡な私にとっては、中日交流について、できることはどう見ても限られていますが、微力ながらも、自分なりに貢献したいと思っています。もし皆も中日交流のために、一つの小さい石になれば、きっと中日の間に、しっかりとした友情の橋が作られると信じています。
 


 こんな志を持つ若者が、世間の垢にまみれ、くちゃくちゃにされないように、わたしら年寄り達が守ってあげなくちゃね!
コメント (2)
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