毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「2年生のスピーチから(その2)」 2013年12月25日(水) No.832

2013-12-25 21:58:33 | 日本語
今日も寒い一日だったが、その寒さの中、
2年生の徐さん、李さん、伍さんが麦盧園から、
プレゼントの苹果と手編みマフラーを持って来てくれた。
明後日27日の早朝、冬季休暇帰国するので野菜も何も買っていない。
外で食べることにして出かけた。
大学周辺には学生向けの食堂がたくさんあるが、
その一角に「吉野家」という看板を出している店があり、
2年ぶりぐらいでそこに入った。

小学生ぐらいの子どもが給仕をする家族経営の店だ。
伍雲霞さんの発音の癖(ラ行がナ行になる)を真似て、
「この皿、きねいねえ」などとふざける徐蕾さん。
このクラスの多くは、音の違いに敏感なのか、
他人の発音ミスを聞き逃さず、ジョークのネタにしている。

下に紹介するジョウ立明さんも、
その人一倍特徴的な発音癖をさんざん指摘されてきた子だ。
一年のとき、彼が話す言葉が何語なのか、分からないことも多々あった。
20日のスピーチ大会では、そんなこと、あんなことが走馬灯のように巡り、
(よくぞここまで這いあがってきてくれたなあ)と感無量だった。
書いてあることは、彼にとって大げさでも何でもない。
普段からじょうさんはやや硬い言葉遣いなので、
この演説は彼の真骨頂と言える。
(途中「**先生」とあるのはワタクシ、ブルーはーとのことである)

「私と日本語」 じょう立明

子どものころ、私は日本がどんな国か、日本人はどんな人か、
良くわかりませんでした。
私の狭い世界では、たまに家族の話に出てくる日本と日本人は、
ほとんど映画からの情報です。
映画は、抗日戦争に関するものが一番多かったです。
私自身が体験した苦難ではありませんでしたが、
それでも、日本という国と日本人は嫌いだという感情が生まれました。
以前は、私の心のどこかに、そのような先入観がありました。
けれども、日本語を勉強したり、**先生と交流したりしているうちに、
私の先入観はいつの間にか消えていました。

日本語を学び始めたばかりの時、私は初心者で、
なかなか難しくて大変だと思いました。
今、日本語を勉強すればするほど興味が湧いてきます。
 
大学に入ってからずっと、頑張って勉強してきましたが、
言語の習得は簡単なものではないので、
興味より、根性の方がもっと重要です。
雨の日でも、雪の日でも、暑い夏の日でも、
私は絶対日本語の勉強を怠けませんでした。
(どうして私は、休みの日でも楽ができないのか。
どうして私は、自分が好きなことができないのか。
どうして私は、この無味乾燥な生活をずっと我慢しているのか……)
そんな辛いとき、苦しいとき、疲れた時、諦めたいとき、
日本語をペラペラ話せる自分の姿を頭に浮かべて、
もう一度、希望を燃やしました。
長い冬は必ず終り、人生にも春が来て、日本語も上手になると信じて……。

私はまもなく三年生になります。
この二年間で日本という国や日本人が理解できるようになりました。
それはただ言葉だけの交流ではなくて、
心の交流ができた結果です。
日本語勉強において、強く印象に残った人物や出来事をあげるとすれば、
最初に思い浮かぶのは、やはり**先生のことです。
先生は、むろん優しくてまじめです。
毎度宿題を出して、先生は必ず詳しく添削します。
それがわたしの感動したことです。

中日両国は一衣帯水の関係にあります。
この両国は昔からいろいろな分野で、
即ち、政治や文化、経済などの面で幅広く様々な交流が行われてきました。
異文化をお互いに交換するために、
これからも日本と中国がうまくやっていかなければならないと思います。
だからこそ、我々若者は自分の行いによって、
世界平和の増進に役立ちたいと思っています。
中日関係の健全な発展、中日両国のさらなる美しい未来を、
いっしょに作っていきましょう!
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