毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「鶴彬(つるあきら)の川柳を詠む」 2013年12月5日(木) No.815

2013-12-05 22:16:55 | 日本語
今日、日本文学の授業で川柳を紹介したが、
それは「サラリーマン川柳」やらで、
学生たちは、辛いことも思わず吹き出すほどのユーモアで乗り切る
日本庶民の暮らしぶりが覗えたのではないか。
で、今日の宿題は「辛さを吹き飛ばす川柳を3句作ること」にした。

宿舎に帰ってきて、保存しておいた朝日デジタルの「天声人語」を読んでいると、
『反戦の川柳人で知られる鶴彬(つるあきら)に
万歳とあげて行った手を大陸において来た〉がある。』


という部分を見つけて、ギクッとした。
先の戦争で兵隊にとられた若者の多くが、
侵略の先兵として送り込まれたアジア大陸で身体の一部を損傷し、
或いは、命を丸ごと失った。
川柳は社会風刺や人情の機微を表現して、生きる力になるものだと、
今日の授業で説明したばかりだが、
鶴彬の川柳は、やんわりとした社会風刺といったものではない。
真正面からの国家批判である。命がけの表現だ。



鶴彬は、1909(明治41)年石川県生まれ。この年、伊藤博文がハルビンで暗殺された。
28歳の1937(昭和12)年12月、出勤したところを
待ち伏せしていた特高警察に治安維持法違反で逮捕され、
翌1938(昭和13)年、29歳の時、この世を去った。
その時も手錠をされたままだったという。

下の2句は15歳の時、初めて句誌に投稿したもの 。
・静な夜口笛の消え去る淋しさ
・燐寸(マッチ)の棒の燃焼にも似た生命(いのち)


同じく15歳の時の句。
感じる心が飛びぬけている人だったんだ。
・悲しい遊戯を乗せて地球は廻る
・生活へ真剣になれぬある生活
・一跳ね一跳ね魚(うを)の最後が刻まれる
・泣く笑ふそして子等の日は終り

・儚いと捨てられもせぬ命なり
・大きな物小さな物を踏みにじり
・風船玉しかと掴めば破れます。


次は16歳の作品。
この年、普通選挙法とともに治安維持法が制定された。
・打たれてから打つ心を考へる
・大切に抱いてゐるから黙って居よう
・生と死を車輪の力切りはなし
・死の背景に生きてるものが浮いてゐる

・レッテルを信じ街々の舞踏する
・レッテルに掩はれて街,窒息せん


その後、鶴彬はずっと書き続けた。
心震える恋も、踏みにじられる正義も、蟻のような労働者の生活も、
書いて、書いて、28歳になった。
その年の11月句誌「川柳人」に投降した中に上記「天声人語」の句と
下の句がある。

・手と足をもいだ丸太にしてかへし

この一か月後、彼は悪名高き治安維持法によって逮捕され、
翌年赤痢で病院に移送されたものの、
手錠を外されることはなく、29歳で日本国家に殺されてしまった。
今再び、こうした時代にシフトしている日本である。
コメント (2)
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