先週、南昌の八一公園日本語コーナー仲間が歓迎会を開いてくれた席で、
何人かの中国の方から、
「政府は政府。我々民間人とはま~~~ったく関係ない!」
(↑これは吐き捨てるような勢いだった)
「政治に対して我々ができることは何一つない。
ただ、自分たちにできるのは民間交流を続けることだ」
といった言葉を聞いた。
一般中国人の政治に対する無力感はたいへん大きいと感じた。
しかし、関係ないはずの政治は、常に向こうからやって来る。
江西省政府が一日本人である私に「廬山友誼賞」を与えるということも
昨今の政治的事情とまったく無縁だとは言えない。
2年前、そして去年も江財大外国語学院は私をこの賞に推薦してくれていた。
私自身はそんな賞とは無縁な人生を歩むことに清々しさすら感じる人間なので、
イエイエ、どうぞお構いなく状態だったが、
推薦してくれた先生方自身からして、
「これだけ中日関係が悪化していたら、受賞は難しいでしょう」
と太鼓判?を押してくれていた。
それが、今回、2008年以来6年ぶりに日本人が受賞した。
そして今日のニュースは、
周近平国家主席と安倍首相がAPECで
何らかの会合を持つための調整をしていると伝えている。
やっぱり、そういうものだ。
地方政府は中央政府の動向を見て、ボチボチいいかな、と判断したのだろう。
私個人のつたない実践が認められたのは、過分のヨロコビだが、
それ以上に、日本と中国の関係が修復段階に入ることができるのでは、
という一筋の希望の光を垣間見た思いだ。
日本国内の奥深くで無責任に中国に対してあることないこと言っている輩には
全く分からないだろうが、
中国で日本語を学ぶ学生たち、教える先生方、
中国で経済活動を展開する日系企業の駐在員たち、
そしてそこで働く中国人社員たちは、
自分のできることを一生懸命、ときには薄氷を踏む思いでやっている。
人と人との付き合いで、自分の都合や思いだけをまくし立てる人は嫌われる。
しかし、懐の深い人はそうした人をもすっぽり包んで、
しまいにその人をも変えていくことができる。
国と国との関係もそうである場合、平和希求型外交が展開されていることになる。
棍棒の時代に逆戻りするのは、人類が叡智をかなぐり捨てたときだ。
とまあ、思いがとぐろを巻いてきたので、今日はここまでにしたい。
↓APEC会議の行われる北京雁栖湖東側の日出東方凱賓斯基ホテル。
北京は既に厳戒態勢に入っているそうだ。