↑上海市内。豫園の近くの通り。いかにも「しゃんは~い」という豫園の建築物の屋根を模したビル。
今まで20回以上上海を通った。しかし、いつもただ通り過ぎただけだった。
今回は荷物も少ないし、ちょうど4年生の余立君さんが
上海での実習を10月末で終えるという。
11月1日の夕方、私は満を持して上海の浦東空港から市内に降り立った。
と言っても、余さんと友人の周さんが(またしても周さん。周恩来の周と思うとすぐに覚える)、
周さんの会社の車で迎えに来てくれて(こんなこと書いていいのか)、
自動的に運ばれただけである。
空のダイヤが乱れているとかで、夕方5時に着くはずが、南昌で1時間半待機し、
上海着は6時半過ぎになった。それくらいのズレはもはや何でもない。
今まで、もっと、もっと、長時間待たされたことが何回あるだろう。
その夜の市内では、3年前広州市に行ったとき泊めていただいた余さんのお母さんが、
何と、いつの間にか上海に引っ越していて、夜の食事をご馳走してくださった。
広州では伝統の飲茶の数々をいただいたが、
今回は鶏肉をお酒に漬け込んで蒸したもの、とんかつをレタスでくるんだようなもの、
中国にしかない野菜など、そのレストランのお勧め料理を適度に頼んでくださった。
立君さんのお母さんは、薬膳に詳しく、一般的な中国人の注文の仕方とは異なり、
余って困るほど無駄に注文しない。
常に身に赤い何かを身に着け、背筋をまっすぐにして座る余さんのお母さんは、
見ただけで、生きていくための自分の哲学を持っていると思える人だ。
お母さんは、自宅からペットボトルに入れて持ってきた自家製紹興酒を取り出し、
店員さんにグラスだけ持ってきてもらって、私たちは乾杯した。
こういうことが普通にできるのが中国のいいところだ。
その後、10時前に私たちは周さんの(会社の)車で、外灘観光に出かけた。
10時半過ぎに着いたが、まあ、夜だというのに何とたくさんの人々が…。
外国人が多い。時々、日本語も聞こえてくる。さすが上海!
4年間居た南昌ではそういう体験はただの一度もなかった。
11時になると、超レトロな時計台の時計が
ボヨ~ン、ボヨ~ンとネジが外れそうな音を出した。
それを聞いた後、観光地を離れ、地元の人たちの夜のお楽しみの場に移動した。
着いたところは、南昌の横町にも随所に見られる庶民の食堂街だった。
この食堂街は地元でとても人気があり、朝の3時まで賑やかだという。
中には夜10時半にオープンし、
お爺さんが一人で200食だけ作っているというラーメン屋さんがある。
10人以上の人が行列を作って待っていた。
並んででも美味しいラーメンが食べたいのだろう。
私にはそういうこだわりは全くない。
お爺さんは息子がいて、店の収益金は息子の留学の仕送りになっているそうだ。
↓写真のワンタン屋さんも有名なんだって。
確かに美味しい。
夢中で食べているうち、ハッと気がついて写真を撮った。
水餃子をゴマダレで食べているような感じ。こんど自分でも作ってみようっと。
今回泊めてもらったのは余さんのお兄さんのアパートだった。
お母さんの家は郊外にあり、市内から2時間もかかるので、
お兄さんが市内にある便利な自分のアパートを提供してくれたのだった。
いつもこのように他人のお世話になって生きていくワタシ。
本当にどうもスミマセン。
↓お兄さんのアパート。部屋に階段があったりしてオシャレというか。
月々、3500元の家賃だそうだ(高っ!)。
大学卒初任給が3000元から3500元が普通だと聞いたことがある。