自分の曇った心の煤を拭き取ってくれる言葉に出会うことがあります。
若松英輔という人の語りを初めて聞いたときもそうでした。
NHKラジオ第二放送のカルチャーラジオ「文学の世界」だったと記憶しています。
「自分の心を拾う言葉を探し続けることは、
生きることそのものだ」と
静かに、優しく、哀しみを含んだ声で話されて、
私はどうしようもなくなり、本屋さんに走りました。
その本は、今、中国山東省の宿舎で埃を被っていることでしょう。
この2月初め、引きこもり用に何冊か買おうと思って
大阪梅田のジュンク堂書店に行ったとき若松さんの名前を見つけました。
これです。
若松英輔さんと私の敬愛する茨木のり子さんの組み合わせだ~い!
「感受する心の畑に言葉の種をまき、水をやることで様々なものがそこに育ちます。
しかし、私たちは人生において心の水やりを忘れることがあります。
それは汗を流すことを忘れるとき、
涙を流すことを忘れる時です。
懸命に生きていれば、人は知らないうちに「汗」を流します。
他者の心を感じ取るように生きていれば、
愛する何かがあれば、
必ず、「涙」を流すことになる。
懸命に生きることを止めたとき、
他者とのつながりを見失った時、
愛することを諦めたとき、
人は「水やり」を怠るのだろうと思います。」 若松英輔
「ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひ弱な志にすぎなかった
だめなことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ」 茨木のり子
茨木のり子さんは、「ばかものよ」と誰か他人に言ったのでは
もちろんありません。
その自分を律する清々しい姿勢に
何度も励まされてきました。
今もそうです。