毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「はすみとしこと植松聖」 No.3892

2020-06-14 10:24:15 | 人間

末次由紀さんがツイッターで#伊藤詩織さんを支持しますと、

表明されたことを大変嬉しく思います。

末次さんの漫画『ちはやふる』は、

中国の学生たちが百人一首を鑑賞するきっかけとして、

何度も授業で取り上げ、アニメも紹介してきたお馴染みの作品なので、

なおさらです。

それにしても同じ漫画家でも、

はすみとしこはどうしてこうも違うのか、

考え込んでしまいます。

 

はすみとしこ

難民は他人のお金で苦労せず暮らせる者たちだと決めつけ、

生きる価値のない者であるかのように描いた(そうだ、難民しよう!)。

②元TBS社員山口敬之伊藤詩織さんへの準強姦事件を

アベ首相と親密なグループの一員として、

「日本の男性(山口)はおモテになるからたいへんですよね」

と持ち上げ、「枕営業大失敗」と特筆大書して

伊藤詩織さんが山口に色仕掛けをした内容のイラストを発表し、

いまだに「これはフィクションだから」撤回していない。

 

はすみとしこは、元は看護師として

臨床現場で弱さをさらけ出す患者を数多く見てきたそうです。

その中から弱者叩きの考えを膨らませてきたのでしょうか。

もし、そうであるならば、彼女はある人間と重なります。

相模原障害者施設「やまゆり園」で45人の入居者を殺傷した

元施設職員の植松聖(さとし)です。

彼らの共通項は、日本国憲法の

人間は生まれながらにいのちと身体をはぐくみ、

生活する権利を持つ

という、全ての人に分け隔てなく天が与えた権利を否定する立場です。

従って、憲法25条の

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、

社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に

努めなければならない。」

なども、(なんで国が無駄な命の面倒見ないといけないんだ!)と

憤怒の情を隠そうとしません。

そのとき、彼らの心の中は(自分の命は無駄ではない)という

選民思想と言うか、ナルシシズムと言うか、

自己中心主義に満たされています。

しかし、誰が〈無駄な命・役立つ命〉を

選別する権利を持つのでしょう。

私にはありません。総理大臣にもありません。

当然、はすみとしこにも植松聖にもない、としなければ

この社会は常に、外に出るとき、否、家の中でさえ

誰かに殺されないように身構えていないといけなくなります。

原始時代から人類は長い時を生き続けて、

自他がともに生きるための知恵を蓄積してきたはずです。

この「人間が人間を殺してもいい」とする考えは

棍棒を振り回す原始時代の思考、あるいは戦時の思考です。

だから、何でもない、穏やかな平和こそがだいじなんじゃないですか。

わたしははすみとしことその仲間の考えを憎悪します。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする