本来ならば、今頃は青島駅からカタク行きの寝台車でグーグー寝ているはずなんですけど。。。
今はまだ青島駅近くの安ホテルの湿っぽいベッドの上でタブレットパソコンのキーボードを打っています。
今朝6時半に家を出て一路関空へ向かい、青島流亭空港に12時頃ついたところまでは極めて順調でした。
空港バスに乗って青島駅についたのも予定通り、そこでカタク学院の1年生(新2年生)のえん小玲さんと落ち合いました。
えんさんとは青島市に属する県の出身なので一緒にカタク学院に戻ろうと約束していたのです。
さて、夜行列車は午後8時5分発でしたが、時間がたっぷりあるのでスーツケース2つを駅のロッカーに預けた後、
えんさんの案内で街に繰り出しました。
久しぶりの水餃子、しかも青島ならではのさわら(魚)餃子をたっぷり食べて、
海鮮屋台がひしめく「壁柴院」へタクシーを飛ばし、その後海辺の「五四広場」を散策して
またタクシーで7時半までに駅(東口)に着きました。
チケットは7月から4年生の王さんが買ってくれていますから、ロッカーから荷物を出して
ホームに行きさえすればよかったのです。
そのロッカーが開きませんでした・・・・・・。
青島駅構内のロッカーは身分証明書とロッカーナンバー票をセンサーにかざすと自動的に開くようになっています。
しかし、それがどうやっても開きません。
係がいない場合は電話をするようになっているので、そこに電話をしても誰も出ません。
えんさんは脂汗を流して近くの誰彼構わず窮状を訴えているうちに
別の係がやってきて無理やりカギを開けてくれました。
午後8時ちょうどだったのですが、運悪くというか駅の構造に不案内だったというか、
改札口は何と果てしなく遠い南口だったのです。
その時、えんさんはノートパソコンが入った私の重いキャリーバッグを右手に、
自分の25kgはある信じられないくらいの重量のスーツケースを左手に持ち、
背中にはバックパックを背負って異常に長いエスカレーターのない下り階段とそのあとの上り階段を
一気に降りたり上ったりしたのです。
火事場のくそ力とはこのことでしょう、と感心しながら私もよろよろと巨大スーツケースを持って上ったり降りたりしました。
結果は、3階まで上り詰めたところで、私たちはドアが閉まったばかりの列車が動き出すのを
手をこまねいて見るということになりました。
思えば、7月に日本に帰る時も飛行機が飛ばず、次の乗り継ぎができなくて上海に一泊しました。
今日は、ロッカーが開かず、青島に一泊です。
えんさんのものすごい剣幕での抗議で、
駅のロッカー係は宿泊費と汽車代を支払ってくれることになり、
私たちは駅の堅い木のベンチに寝なくても良くなりました。
それでも、えん小玲さんは、係官が個人的にお金を払うので高いホテル(2人で600元)はやめて
この湿っぽいシーツの安宿にしました。
この辺がえんさんの優しいところです。
こんなボロ旅館でもWi-Fiはちゃんとあり、私はブログに刺激的な今日の出来事を書き留めることができます。
写真も撮りましたが、それはカタク学院の宿舎に行ってからのお楽しみにしておきましょう。
面白かったけど、疲れたわ(笑)。
使い慣れないタブレットパソコンで文字サイズや漢字を変更するのもままならず、
続きはまたカタクで、ということでお休みなさい。
読んでいるだけでも、はらはらどきどきでした。
中国の人は、ちゃんと自己主張しますので、塩酸の抗議はすざましかったでしょうね。
目に見えるようです。