↑ハッカの花
何年も帰っていませんが
故郷北海道の、特に道東の話題には自然に目が行きます。
ハッカ、父と母が作っていたことあったなあ。
ハッカ油スプレー人気沸騰 マスクに清涼感
北海道・北見の会社、ネット販売15倍
毎日新聞2020/06/27 08:01
コロナ禍のマスク生活で夏場に向けて人気急上昇のハッカ油スプレーの生産がフル稼働
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20200627k0000m040014000c.html
1960年代に合成ハッカが日本中を席巻するまで、
道東ではハッカを大量に栽培生産していました。
(元々は山形県から伝えられたそうです)
私の父母も知床半島の根っこの山奥の焼き畑から開墾した土地で
ハッカを作っていたことがあります。
当時わたしはまだ小学校に入ったかどうかぐらいでしたが
我が家(父が自分で建てた)の傍のハッカ畑で、
よく葉っぱを撫でて匂いを嗅いでいたものです。
(子どもの私にとっては格別好きな香りではなかったんですけど)
その後、合成ハッカに負けて栽培するのを止めてしまったのか、
その畑はジャガイモだったかビートだったかが
取って代わった記憶があります。
下の矢印のオレンジ色の辺りが私が生まれ育ったエリアで、
緑色は、現在日本のハッカの95%を生産している
紋別郡滝上町(たきのうえちょう)です。
中国で自己紹介する時私は必ず
「我是北海道人。」と言います。どんなに離れていてもね。
↓これが話題のハッカ油スプレー。殺菌効果もあるとか。
ついでにハッカ飴も。知床半島のウトロに住む姉が
お土産屋さんをしていたとき、よく店に置いてあったっけ。
中年になった頃、旅行で網走、知床方面に行き、開墾農家の石の小屋が廃墟になっているのを見て、厳しかったであろう生活に思いが行きました。強風で木々は地を這うようなところでした。
私も、家は農家だったのでその苦労は分かります。でも、あのような土地を開墾しなければならなかった人々の足元には及びません。
日本という国が、そのような人に報いてきたのか、考えてしまいますね。
よく母が途中まで迎えに来てくれて「今日こそクマに食べられたかと思った」と言いながら私を負ぶって帰ってくれたこと、半世紀以上前のことなのに昨日のことのようです。
政治には救われなかった父母で、貧乏で、痩せて、夫婦喧嘩が絶えませんでしたが、「それでもどっこい生きている」ことを子どもたちに見せてくれた庶民の中の庶民でした。私は父母の子であることを誇りに思います。