廬山から南昌に戻った日は30℃の暑い日で、あっという間に風邪を引き、月・火は授業以外、宿舎でひっそりと過ごした。
こういうとき、飼っていた猫を思いだす。具合が悪くなると、猫は人前に姿を現さずどこか片隅にうずくまって、ひたすら静かにしている。薬を飲むすべのない動物の養生法だ。
尻尾を骨折した際のシロが、息子の部屋のタンスの中に隠れて出て来ず、どこにいるのか心配して子ども達と探し回ったことがあった。(やんちゃ娘のシロちゃんだけど、偉かったなあ)と、ぼんやり思いだして喉と頭の痛みを噛み締めた。
私も養生の甲斐あって、今朝は頭も身体もかなりスッキリしている。フウ~、やれやれ。
東林寺宿泊の翌朝23日(土)は、早朝4時起床だった。
廬山に行くためではない。東林寺の朝のお勤めに参加するためだ。無料で泊めてもらうのだ。それぐらいたやすいこと、というかむしろ、またとない機会であり、お金を払ってでも参加したいところだった。
4時きっかりに別室(一般向けの大部屋)に泊まっていたSさんたちが迎えに来た。まだ暗い。昨夕寺の隅に鶏が何羽かいたが、一番鶏も鳴いていない。
連れられて東林寺境内のあちこちをくぐり、廊下を曲がって着いた部屋には60人以上の人たちがもう座っていた。全員女性だ。(きっと男性部屋もあるんだな)と思った。部屋の正面にはお釈迦様の像が鎮座し、金箔に塗られて以前はどれほどキラキラ輝いていただろうと思わせる立派な仏壇があった。年月がその金箔をちょうどいい程度にくすませ、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。嬉しいことには、全員に座布団があてがわれる。蓮の花の刺繍がされた座布団に座った。前の列には中学生ぐらいの女の子たち数人が、修学旅行で来た子のようにキョロキョロしたり囁きあったりしていた。
まもなくお勤めが始まった。全員立って列を作り、「南無阿弥陀仏」を唱えながら座布団の間を縫って、くねくねと歩き回るのだ。アレルギー性鼻炎の私の鼻は気温が低いときに反応して鼻水を出す。歩きながら何回も鼻水を拭いた。「南無阿弥陀仏」の言葉はほとんど日本語の発音と同じに聞こえて(仏教はこのように国境を越えたのだな)と感心した。後で聞くと中国語では「なんう~あ~み~と~ふ~」だそうだ(耳で聞いただけなので正確ではない)。
約1時間半、部屋をグルグルまわってひたすら「南無阿弥陀仏」を唱える。唱え方は5種類の音階を何度も何度も繰り返すというものだ。まるで歌を歌っているようだ。音階は静かに始まり、時に切々とした調子に高まり、また静かに戻る。どこからか、同様な読経が聞こえてくる。多分男性部屋でもみんなお勤めしているのだろう。「今日の猫村さん」じゃないが、心が空っぽになっていく気がした。それを妨げるのが、ときおり流れる我が鼻水だった…。
朝ご飯もいただいた。朝食前のお勤めは本当に身体にいいと感じる。起きてすぐ食べると、無理矢理食べ物を口に突っ込むような感じがして、私はほとんど食べない。毎朝コーヒーだけだ。
しかし、起きてすぐ1時間半も、部屋の中とは言えぐるぐる歩き回ったので、腹ぺことまではいかないが胃袋がスッキリした気がした。
一般の参拝者は食堂の建物前に集合して列をなし、1列ごとにエプロンぽい装束のボランティアの信徒さんに連れられて食堂に入っていく。お勤めを終えた男性達の列が既に右に何列もあり、女性達は左側に並んだ。Sさんの学友のLさんは「私もゴールデンウィークに、ここでボランティアをします。」とニコニコして言った。
食堂内に入ると、何百人か分からないほど大勢の人たちが何十列もの細長いテーブルに座っていた。こんなにたくさんの人たちに毎回無料で食事を提供するためには、どれほどたくさん経費がかかることだろう。国からの援助とお布施で全てをまかなっているそうだ。すごい。
座席に座ると、真ん前に大きめの茶碗大の器が二つ並べてある。主食と菜用だ。一旦立って「いただきます」の代わりの「阿弥陀仏」を唱え、また座る。学校給食用の器のような大きな入れ物に入った菜と饅頭、そして粟のお粥をボランティア信徒さんたちがどんどん入れて歩く。お代わりもできる。
向かいにはさっきの中学生っぽい女の子たちが座っていて、ひそひそ話をしたり、お粥を分け合ってこぼしたり行儀が悪かったので、食事係の信徒に注意された。それでも話をやめない。一番ソワソワした子の隣にはかなり年配のお婆さんが座っていた。彼女の食欲は旺盛で、お粥、おかず、そして饅頭もお代わりした。そして食事終了の合図があると、ガ~ッとかき込み、スッと立ち上がった。食べ残してはいけないからだ。
隣のソワソワした子も、お粥や饅頭をお代わりしていたが、隣のお婆さんのようにかき込むことができず、みんなが立って食後の祈りをしているときも、座ったまま食べ続けていた。日本の子どものようで、ニヤリ視線をその子に投げると、その子もニヤリと返してきた。
もう鼻歌で「阿弥陀仏」を歌えるようになった頃、東林寺を後に廬山に向けて出発した。朝7時半だった。
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