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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「友好と平和の灯を若者に託して」 2013年8月29日(木)No.733

2013-08-29 18:13:08 | 中日(日中)関係
サウナのような南昌で、去り逝く夏休みを振り返っている。
今夏の最大の出来事は、
何と言っても中国から劉思婷さんという若者を招待したことだ。
たった一人しか来てもらえない微力な自分だが、
どんな小さいことでも、一人ひとりできることを続けることが大事。
そして、こんなささやかな取り組みでも、
多くの友人知人、そして身内の協力なしには決して実現させることはできなかった。
庶民パワー全開の取り組みでもあったのである。
少し前に書いたものだが、
劉さん招待に関わって助けてくれた全ての皆さんに改めてお礼の言葉を掲載させていただく。


『劉思婷さんが、関空から広州の大学へと帰っていきました。
彼女は来日以前から、親日的というか、
物事をできるだけ公平に、多面的に見ようとこころがける若者ですが、
2週間弱の滞在中、一般の観光客とは違って、地元の人たちと直に交流したことで、
彼女自身の今までの日本並びに日本人観を見直し、
さらに補強深化できたことと思います。
決して社会的事象に無関心ではない彼女ですが、
今まで日本が中国にODA援助をしていたことも知らず、
今回、日本の若者たちと交流する中で初めて聞いて驚いたという事実が物語るように、
中国人民は、ある特定の分野の事柄について知る権利を持ちません。
国家がそれをコントロールしているからです。
(今の時代、インターネットで調べればいくらでも知ることができるじゃないか)
と不思議に思う日本人が多くいます。
私も中国に来たばかりの時はそう感じていました。
しかし、全く知らないということは、疑うことすらできないのです。
私たちも同様です。
疑う視点がないときに、調査しようとか検証しようとか思いつかないでしょう。
これが両国民の間に横たわる大きい困難の一つです。
しかし政府が変わるのを座して待つことは、
あまりに消極的に過ぎると考える両国民はたくさん居ます。
そして彼女ら・彼らは長年自分にできることを実行してきました。
それが現在、両国民が決定的に憎み合うのを阻止する力になっています。

劉思婷さんは、将来、中国でそうした力を発揮してくれる人です。
彼女は教師になる希望を持っています。
ものごとを冷静に、客観的に見る視点を中国の子どもたちに教えてくれると信じています。
彼女の子どもが、また日本に遊びに来る日がきっと来るでしょう。
寛大に優しく彼女に接してくれた日本の全ての皆さんに感謝します。』
  ーブルーはーと
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