一体このニンジン・タロの命はいつから続いているのでしょう。
昨年11月頃、近所の何でも屋さんから買ってきて根菜部分はすぐ食べました。
葉がちょっと残っているので水に浸けておいたら、グングン茂って
冬休みに桶に放置して日本に帰っても、彼女はひょろひょろになりながら
生きのびたのです。
そして今、白い花を咲かせています。
下が全体の姿で背は60cmほど。
5cm四方のプラスチック容器(月餅が入っていた)に入れた少量の水だけで
花まで咲かせるこのど根性。
私には絶対真似ができません。
さて、
4月、5月の二ヶ月間は作文月間です。
「中国人の日本語作文コンクール」の応募作を
二年生の一人当たり最低3作書かせているのです。
書く学生も辛いですが、私も土曜日だと言うのに
朝早くから今まで15時間パソコンに張り付いているのは
なかなかなもんです。
文法的には問題なくても、
ときどき日本人の心情としてとんでもないと感じる表現や、
笑いが止まらなくなる表現に遭遇したら、
ちょっと休憩します。
例えば、今日笑ってしまったのは
『私の長い人生を振り返ってみると、云々……』
(これを書いた学生はまだ二十歳ですよ)。
少し前のでは、
ある夢で無様に死んでしまった学生(女性)が、目覚めて一言、
『この誇り高い私が、こんなにみっともなく死んだなんて』と。
その誇り高い人がなんでみっともなく死ぬ夢を見たのか、
深層心理は本人も分からないようです。
ニンジン・タロに続く後輩が花を咲かせる準備態勢に入っています。
ここんところ毎日ニンジンの写真ばかり撮っていますが、繊細で優雅な葉や花の姿に畏敬の念すら湧いてきます。ひょろひょろの姿も美しく思えて、完全に親バカ?(笑)。
「命」を想うとつい口をついて出てくるのがこの歌です。御存知でしょうか。
『教訓Ⅰ』
作詞:上野瞭/加川 良 作曲:加川良
命はひとつ 人生は一回 だから命をすてないようにネ
あわてるとついフラフラと御国のためなのと言われるとネ
青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい
御国は 俺達が死んだとて ずっと後まで残りますよネ
失礼しましたで終わるだけ 命のスペアはありませんヨ
青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい
命をすてて男になれと 言われた時には ふるえましょうヨネ
そうよ 私しゃ 女で結構 女のくさったのでかまいませんヨ
青くなってしりごみなさい にげなさい かくれなさい
*「おんなのくさったの」のところが女性差別だと指摘されていますが、確かに「男のくさったの」とは言いませんね。しかし、何故かわたしは「腐れカボチャ」とか「ド腐れ野郎」というのと同列に並べて、「女の腐ったの」という言葉もけなし言葉として捨てがたい気がします。
必死に生きようとして言う生命力、だから「戦場で死ぬことは自然に逆らっていることにもなるんだ!」
しみじみそう思いました。