先日、大阪市の街頭で維新政治の批判をしていた野党議員候補に
大阪のおばちゃんが
「あんたら、ヒトの悪口ばっかり言わんとき!」
と怒鳴りつけたそうです。
思えば、わが母も生きていた頃は、私が政府の批判をすると、
「悪口言うな!聞いていて気持ちが悪くなる」と言い、
「専門家の政治家は素人のお前より何でもよく知っているよ!」
とまるで政府を神様扱いして絶大の信頼をおいていたものです。
こうした庶民の権力者への盲信グセ、批判を悪口と思う幼稚さ、
それがアベ政権や大阪の維新政治を下支えしているのでしょう。
下の菅野完の文などは維新を下支えしている人たちにとっては
頭にくる悪口としか思えないのでしょうね。
私にはしごく普通のこと言っていると思えますけどね。
写真:時事通信社
新しい時代を迎えるためにも
「改革を叫ぶ無能の群れ」を葬り去れ 4/4(木) 8:33配信
HARBOR BUSINESS Online<取材・文/菅野完>
◆改革を叫ぶ愚者の群れ
平成の30年間日本はずっと「改革」を叫び続けてきたが……
◆改革対象が腐ってるか、改革当事者が無能か
30年経ってもまだ改革が終わらないのは「改革される対象が腐っているのか、
改革の当事者が無能なのか」という疑問に悩んできたが、
大阪の府知事選・市長選を見て、
「ああなるほど、改革を叫ぶほうが無能なのだな」と頓悟(とんご)するに至った。
(ここまでは要約)
◆10年ずっと改革を叫んできただけ
考えてもみよ。大阪で維新なる政治勢力が生まれて10年になる。
その間、彼らはずっと改革を叫んできたが、まだ改革し足らないという。
そして、改革の行き着く果てに「宿願」だからという理由で、
「都構想」なる訳のわからない代物を再び住民投票にかけたいという。
一度住民投票で負けたのにもかかわらず、だ。
しかもそのためには、首長職を途中で放り投げることもいとわないのだという。
「創価学会・公明党に騙されたままでは、死んでも死に切れない」
というのが理由らしい。
都構想は彼らの「宿願」なのだろう。
創価学会・公明党との政治的合意がほごにされたのは
「死んでも死に切れない」ほど悔しいのだろう。
しかしこの両者とも、「知らんがな」の一言で済む、単なる感情論でしかない。
感情論を前面に押し出し、感情論を根拠に、自分の職を放り投げ、
感情論で、数億円かけて選挙をするというわけだ。
こんなもの、維新の好きな言い回しを使えば
「民間企業なら通用しない、無能」としか言いようがあるまい。
無能が改革するのだから、改革が終わるはずがない。
5月1日からは新しい元号が始まる。
改元は時代の区切りではない。
時代を区切るのは人々の営みのありようだ。
ここいらで新しい時代を迎えるためにも、
「改革を叫ぶ無能の群れ」を過去のものとして葬り去る必要があろう。
<取材・文/菅野完>
すがのたもつ●本サイトの連載、「草の根保守の蠢動」をまとめた新書『日本会議の研究』(扶桑社新書)は第一回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞読者賞に選ばれるなど世間を揺るがせた。現在、週刊SPA!にて巻頭コラム「なんでこんなにアホなのか?」好評連載中。また、メルマガ「菅野完リポート」や月刊誌「ゲゼルシャフト」(sugano.shop)も注目されている
ハーバー・ビジネス・オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190404-00189302-hbolz-soci
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