1億9000万円もの経費をかけ、政府が税金から半額出すという
中曽根康弘元首相の自民党・政府の合同葬ですが、
当の故中曽根康弘さんは
今生きて路頭に迷う何万人もの日本の民に1円も補助せず、
彼一人に2億円近いお金を使うに値する人物だったのでしょうか。
国鉄民営化で多くの国鉄職員を路頭に迷わせ、
原発推進や憲法改定にも多大な影響を与えた「功績」があるそうです。
戦時中にインドネシアで慰安所設置に積極的に関わっていたことも
大きな「功績」の一つなのでしょうか。
「主計長(中曽根康弘)の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-28/2011102814_02_1.html
美輪明宏さんと中曽根の有名な逸話は
ご存知の方も多いと思いますが、
この機会に拙ブログにも記録しておきたいと思います。
(元ネタは「佐高信の政経外科」です)。
美輪明宏について佐高信は
「肝っ玉の据わり方がハンパじゃない」と語り、
自分がそれをどれほど伝え得るか不安に思うほどだと書いています。
美輪明宏は1935年5月15日長崎で生まれ、
10歳で被爆を体験しました。
以下、佐高信の美輪さんへのインタビュー記事からの抜粋です。―――――――――――――――――
若き日の美輪明宏
美輪「長崎の実家は、戦前、カフェ、料亭、金貸し業、お風呂屋さんとやっていましたが、どれも、本音と建前を見破る商売でございますからね。昼間、どんなに“エライさん”が行ない澄ました顔をしていても、夜になると女給のスカートの中に手を突っ込んだり顔を突っ込んだりして、ビールをかけられてヘラヘラしている。だから、私に対して権威が通じなくなるんです」
十歳での被爆体験を踏まえて、戦争は醜で、「美といちばん対極にあるもの」だと言い、原爆の実験場として日本中を灰にしたアメリカやイギリスを今でも許さない、と怒って、「私はアングロサクソンって大嫌いなんです。もともと海賊ですからね。英国とアメリカの歴史は、他人の土地を乗っ取って殺人して、略奪して。ろくでもない奴らですよ。悪魔ですよ。よく世界のポリスなんて言ってられる」と声を高くした。
次の指摘も忘れられない。
「軍が支配すると、その国は亡びます。後先の考えもなしに、ただ根性、根性、根性。神風が吹くなんて馬鹿なことを言って。奴らが日本を破滅に導いたんです。日本人が日本人を殺したんですよ」
中曽根康弘への名指し批判も凄かった。
中曽根に会って、いきなり、「キミらみたいなのは海軍魂を知らんだろうな」と言われた美輪は、
「ええ、年齢が年齢ですから、海軍魂は知りませんけど、原爆にやられました。竹槍の練習もさせられたし、銃後の守りでいろいろやらされました」と返し、
さらにこう反論した。
「でも、おかしいですね。そんなに海軍魂とやらが大層なものだったら、何で負けたんですか。向こうが原爆つくってる時に何で私たちは竹槍をつくらされてたんですか」
中曽根の無礼に対する美輪の怒りは、これでとどまらない。
「自分の同僚を見殺しにして、おめおめと帰って来て、腹も切らないでのうのうとしている。そういう面汚しの厚かましいのが海軍魂なら、私は知らなくて結構です」トドメを刺されて中曽根は撫然として席を立って行ったという。
その後、新幹線に乗ったら、中曽根が先に座っていた。美輪の席はその真後ろである。それでも仕方がないから知らん顔をして座っていると、秘書が次の車輌に行き、老夫婦を連れて来て交替した。逃げたわけである。
この逸話を紹介した後の美輪のタンカがまた気持ちがいい。
「男の風上にも置けない。てめぇ、キンタマついてんのかですよ。たかが芸能人風情に対してね」
特に若い人たちは美輪の爽快な毒舌を堪能してほしい。
『サンデー毎日』(2013/2/10【佐高信の政経外科】)
美輪さんのような方も、また日本人の代表的存在なんだから、日本を諦めたらダメだと自分に言い聞かせています。そして、こきおばさん様のような先輩がいてくださるので、日々勇気を出して生きていけます。
明日もまた、美輪明宏さんやこきおばさん様の歩いてこられた道を辿って私も一歩いっぽ、足を前に出していきますよ!
舞台上からものすごい「気」が送られてくるのが感じられ身体中にその「気」を一杯頂いてきました。
中曽根さんをギャフンという目に合わせたお話、痛快です。