おととい11月2日午後11時前に我が家に着いた。
翌朝すぐにでもブログに経験談を載せようと、ブログを開いたが、
まもなく書くのを止めた。
うまく書けない。表現できないのだ。
無理に言えば陳腐になるが、『熱いもてなしに心震えた』とでも。
そんな安っぽい言葉で書くのがもったいないくらいの思いを今回私はさせてもらった。
しかし、へたくそながら今日は少しでも書こう。
今回私の日程は、ザックリ次のようなものだった。
10月28日(火)午後:関空発-上海浦東経由-夜8時:南昌着。江西飯店宿泊。
10月29日(水)午前:江西飯店で江西省政府主催「廬山友誼賞」授賞式、
午後:江西財経大学日本語学科職員室に向かい、先生方と再会。
10月30日(木)午前:財大3年生との交流、午後:新1年生との交流
夜:南昌八一公園日本語コーナーグループの宴会
10月31日(金)午前:江西農業大学袁老師のお宅にお呼ばれ。
午後:財大2年生との交流、
夜:校内日本語コーナーに参加
11月1日(土)午前:八一公園日本語コーナーに財大生8人とともに参加。
午後3時半:南昌発ー上海へ。
夜:上海で4年生余立君さんのお母さんに御馳走になる。
深夜:余さんと友達の周さんに案内され外灘観光、
地元の人向けの屋台通りで名物ワンタンを食べる。
11月2日(日)午前:余さんの案内で豫園観光。
昼:アパートに戻り、上海で評判の鴨肉ラーメンを食べる。
夕方上海発-大阪関空午後9時着 10時50分:自宅到着
取りあえず、南昌市内八一公園の日本語コーナーグループのことから始めよう。
南昌に行ったら、必ず毎週土曜日にある八一公園日本語コーナーには行こうと決めていた。
日本語を学びたい中国人たち、それに応えたいという日本人たちが、
会員制でも何でもなく、ただ自前で集まり、日本語で話すだけの青空日本語教室だ。
私の4年間の生活は、江西財経大学での仕事と、
八一公園日本語コーナーのボランティア活動が2本の柱だった。
この日本語コーナーへは、2012年9月から11月の間、
尖閣国有化問題に端を発する反日デモの嵐で数か月参加できなかった。
しかし、後で聞くと、日本人で八木先生ただ一人が、
その間もずっと続けて出かけていたという。
日本人が行かなくなれば、この日本語コーナーは潰れるという危機感を持ち、
公園に行く途中、日本人だと分からないように気をつけて参加していた八木先生は、
公園に行けば必ず数人の中国人が待っていてくれたと言う。
そうなのだ。そういう中国人が必ずいるのである。
そんな中国人や日本人の仲間たちが、30日(木)の夜、平日で忙しいにも関わらず
南昌市内のレストランで歓迎パーティーを開いてくれた。
[10月30日夜のパーティー]
↓中国式ディナー。白酒(バイチュウ)を飲みながらも、皆さんだまだ冷静な表情だ。
江西いすゞ発動機(株)のいつものメンバーの顔も見える。
↓左から江西農業大学南昌商学院副学長袁老師、貿易事業家森川さん、江西財経大学陶萍老師、高松日中友好協会から派遣された村杉先生、江西いすゞの久保さん。
ビールは南昌特産の「8°」。
しかし、それは名前だけでアルコール度数は2%台のライトビヤである。
この人たちはそれくらいではビクともしない。
↓飲むほどに毒舌ジョークが開花する人々。
右から江西師範大学丁勇老師、日本語コーナー大ピンチの際、踏ん張ってくれた江西師範大学八木先生、高松大&岡山大大学院に留学したトウ先生、日本語コーナーの代表劉波さん。
↓南昌の辛い味の御馳走の中に、こんな悲しげな顔も…。
家鴨さんである。
↓家鴨さんは間もなくこのような姿に。食べたのは農大の袁老師である。
とても美味しかったそうな。
↓次第に席から立ち上がる人々。
中央のトウさんはいつも人にお酒を勧める名人だが、
この夜は自分もガッツリ飲んでいた。
↓しまいにこうなる。
中国南昌のパーティーはとても賑やかで明るい。で、やたら写真を撮る。
[11月1日八一公園日本語コーナー]
財大の学生たちとともに小雨の中、バス・徒歩で一時間の八一公園に出かけていくと、
すでに20人以上の参加者が東屋で雨宿りしながら喋っていた。
日本人では八木先生、高松日中友好協会の村杉先生はもちろん、
留学生の比嘉さん、江西いすゞ発動機(株)の3人組もいつものように参加していた。
地元にしっかり根付こうとする日本企業の姿勢を体現するこの3人組には、
心からエールを送りたい。
この会社は「江鈴杯スピーチコンテスト」のスポンサーも申し出てくれている。
中日関係の修復があと一歩進めばコンテスト再開に漕ぎ着ける。
(安倍さん、これ以上要らんことせんといてや~)。
しまった。写真を撮るのを忘れて夢中で喋っていた。
南昌大学の周先生、会社員で結婚ホヤホヤの周さん、八木先生の愛弟子の周さん、
おっと、もう一人!大切な身内、江財大4年の周文いくさんを忘れてどーする。
とまあ、最低4人は周さんがいたことを無意味に書いておく。
飛行機の時間があるので、早めに皆に別れを告げ、江財大の子どもたちと一緒に
いつも昼ご飯を食べていたワンタン屋さんに向かった。
↓この店の女主人(左から2番目、撮影のためにわざわざエプロンを外してくれた)
とも久しぶりの再会で記念に一枚。
「小さい子は前に」と李雪さんに言うと、
「私は徐蕾さんより背が高いのに~。」と不服そうな顔をしたので、
すぐに「五十歩百歩」「目くそ鼻くそを嗤う」などの慣用句を紹介する
どこまでも教師の私だった。
この後、女主人は「先生のワンタン代6元は要らない」と主張し、
無理やり私のポケットに6元紙幣をねじ込んだ。
私たちはおばちゃんの気持ちに泣きそうになりながらバス停に向かったのだった。