3月26日と言えば、もう下旬なのに寒い日でした。
途中で雨もちょっと降って・・・。
まず後半は、『安養寺』 からです。
境内には、紙治おさん・猪名川・佐藤魚丸の墓があります。
ちなみに 『紙治おさん』 とは
近松門左衛門の名作 「心中天の網島」 の紙治治兵衛は女房おさんと
二人の子供がありながら遊女小春と恋仲になり、最後心中しますが、
治兵衛の妻おさんは夫の一周忌を済ませたあと、遺児を実家にあずけ尼になりました。
年老いたおさんは、この安養寺の尼僧となって女性の悩みの相談に務め、多くの人に慕わました。
そして、治兵衛が小春と心中してから40年も永い間、夫の菩提を弔ったようです。
(おさんは、立派な奥さんだったのでしょうか?)
(三人の墓は、安養寺の中にあります。)
(おさんの墓は小さなお堂の中にあります。)
(佐藤魚丸の墓、いたみが激しいです。)
(力士 猪名川の墓)
『猪名川』は、力士名。歌舞伎や浄瑠璃でも上演されることもあるとか。
『佐藤魚丸』 は江戸時代中~後期の浄瑠璃作者です。
そして、『天下茶屋公園』 へ。
ここには、安部寺塔住礎石があります。
安部寺は、大化の改新を推進した安部倉梯麻呂(安部内麻呂)の創建と
考えられています。
塔住礎石は阿倍野松崎町にありましたが、、現在はここに移設保存されています。
(公園の中にひっそりとありました。)
それから、『西成区民センター』 へ。
ここは 「区民まつり」 や 「区民文化祭」 などの多くの地域コミュニティ事業活動
の場になっています。おトイレも拝借。
(西成区の文化財が保存されています。この日は発表会もあったようです。)
次は 『正圓寺(天下茶屋の聖天さん)』 へ。
西方に海を望見できることから 「海照山正圓寺」 と命名され 「天下茶屋の聖天さん」 と
親しまれています。御本尊は商売の神様、大聖歓喜天で日本最大の木彫りの聖天さん
として知られています。
また、聖天山は標高14mの低山で、正圓寺境内に山頂があります。
(御本尊は大聖歓喜天でお商売の神様です。)
そして、『兼好法師の藁打石』を。
「徒然草」の作者として有名な吉田兼好(1283~1350年)は阿倍野に質素な庵を建て
隠れ住んだ時期がありました。兼好は召使い「命婦丸(みょうふまる)」の故郷である丸山の
古墳のふもとで藁を打って縄やむしろなどを編んで生計をたて生活をしていました。
その兼好が藁を打ったといわれる 「藁打石」 は正圓寺の西階段登り口横にあります。
そろそろ歩き疲れたころに、『聖天山古墳』 へ。
昭和26年の土砂採取中に、巨石に囲まれた石室が発見され、埴輪・馬具・直刀・須恵器などが
出土しました。
(公園の一画にありました。)
ラストから2つ目の 『縄文海食涯』 へ。
上町台地の西側は崖になっています。落差10m前後の階段または崖があります。
この崖は昔から上町断層によってできた断層崖ではないか?と考えられていました。
数千年前まで上町台地の西には海がせまり、波が押し寄せていました。この浸食作用が
崖を作ったのです。上町台地の西は断層崖ではなく、海食崖だったのです。
(なるほど、そうなんだぁ~。と思わず納得!! だから、歴史ウォークは止められません。
今まで知らなったことや自分にとって新しい発見があったりで、うれしい限りです。)
(波の浸食作用でできた崖)
最後は 『阿倍野区民センター』 です。
1階展示コーナーには、阿倍野筋南遺跡や阿倍寺跡の出土品が展示されています。
(ここでも丁寧な解説がありました。)
ここでアンケートを提出して、解散で~す!!
5キロほどを歩いたことになります。健康的な有意義な一日の終了です。
チャンチャン!!(~笑~)
昨日も順位が付いたので記録のためにUPしておきま~す。
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