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Brugge Style
貴婦人と一角獣
『貴婦人と一角獣』は、タペストリー6枚組みの、天国のように美しい連作である。
このタペストリーは、おそらく15世紀ごろパリで下絵が描かれ、フランダース(現ベルギー)で織られた。
10年かけて改装後、2022年に新装オープンとなった、パリの国立中世美術館クリュニー美術館に現在も展示されている。
ジョルジュ・サンドが絶賛したことから有名になったというカラフルな逸話があるにしろ、そうでなくてもこのタペストリーの全体に漂う優雅さや、貴婦人の服飾のオシャレ度、色のと構図の美しさ、テーマのおもしろさ、動物や植物の愛らしさ...
すべてのファンタジーがすばらしく、ただただ何時間でも眺めていられる。大好き。
一角獣、ユニコーンが注目されがちだが、コミカルな表情のライオンも、うさぎや犬も狐も、ほんとうにかわいらしい。
わかりやすい華やかな美しさにも関わらず、テーマは長年不明とされてきた。
現在では人間の5つの感覚「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」を表現したものとの見方が強く、そして6枚目は「我ただ一つの望み」(A mon seul désir)を現しているという。
「我がただ一つの望み」とは?
それはいまだ謎...「愛」や「理解」と解釈されることが多いそうだ。
以下はわたしの想像の世界での遊び。
わたしは第6枚目は、「物質界の束縛から解放されること」つまり「霊的な愛」ではないかと思っている。
ここで貴婦人は思い切った短髪(他の貴婦人はみなとても長い髪をしている)で、首飾りを外しているところに注目したいからだ。
長く美しい髪も、豪華な宝石も物質界の、儚いものである。
そして側に常に侍る、ユニコーン。
ユニコーンが象徴するのは何か。
ユニコーンは西洋の伝統において、純潔や貞節の象徴である。
ユニコーンが処女にしか懐かないというのはよく知られているハナシだろう。
貞節によって魂は物質界の欲望から解放され、愛(ここではプラトニック)によって高次の存在へと向かい、美が生まれる。そのことを表現しているのではないか。
ネタはネオ・プラトニズムです。
つまり、真の美は物質的なものではなく、貞節(精神の純粋さ)と愛(霊的な上昇)の結合によって顕現する、と。
ユニコーンは 貞節と愛の結合によって生まれる「美のイデアへ」の導き手となっているのでは。
ユニコーンと常に対になって現れるライオンが象徴するのが騎士道や王位であるとしたら、そういう相手との結婚に際して織られたのかもしれない。
国立中世美術館 クリュニー美術館は10年以上の改装期間を経て2022年に新装開店。新装してから初めて行った。
現在は地下のローマ時代の浴場に、ノートルダム大聖堂での発掘品が展示されており、興味深い。
記憶に新しい火災後の発掘品や、中には革命後に取り崩されて市場の柱に使われていた聖書時代の諸王の頭なども回収されて展示されている。
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不思議なパリのモエ
活動が華やかなのもパリの特徴か 4区
長文はわたしの特徴だが、今日は写真だけで、ウサギの穴に落ちたアリスのように。ナンセンス。ナンセンスバンザイ。
人間の欲望である 6区.
レピュブリック広場 3、10、11区にまたがる
対のイヴは今も行方不明13世紀@国立中世美術館クリュニー美術館 5区
『廷臣論』を上梓した人物であることを前提に鑑賞@ルーヴル 1区
英語だったら観に行くのになあと思う... 6区
ノルマンディの牡蠣、全種類買いたい! 今夜は牡蠣だな 3区
パリの古い記憶 1区
いや、まずはシャンパーニュで乾杯
ヴァンドーム広場 1区
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ルーヴル美術館 特別展 チマブーエ再発見
13世紀 長篇メートル近くあり、巨大。天使が人間の実物大
人物が実際骨格を持ち、薄衣から背後の布地の色が透ける様子まで表現されている
今回、ノルマンディ地方のルーアンで一泊してパリに来たのは、ルーヴル美術館で開催されている13世紀イタリアの芸術家、チマブーエ再発見の展覧会を見るためだ。
記憶をたぐろう。
2019年、驚愕のニュースが駆け巡った。
フランス北部コンピエーニュに住む老齢の女性のキッチンで、チマブーエのテンペラ画が発見された。
その絵画は『嘲笑されるキリスト』。
エルサレムで逮捕されたイエスが、磔刑までの段階で人々によって笑われ、馬鹿にされるシーンである。
左上はロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵の『聖母子と二人の天使』
右下はNYフリック・コレクション『鞭打ちされるキリスト』
多翼祭壇画(おそらく8枚)のうちの3枚(他は失われている)と考えられている
キッチンのコンロの上で長年熱にさらされていたため(!)、痛みは相当激しかったらしいが、オークションで29億円(当時)で落札後、フランスの国宝に指定され、パリのルーヴル美術館の所有となった。
キッチンから国宝!!
しかも、ルネサンスの夜明け、芸術史の大きな転換を切り開いたチマブーエの作品!
人間の肉体を持ち、苦しむキリストを表現
この表現は当時全く新しかった
さて、チマブーエの重要性。
チマブーエは、従来のビザンティン的なイコンに、「時間」と「空間」を導入した。
ビザンティン様式の聖画(イコン)は、厳格な形式の中で、主題である聖母子の表情も服装も硬直、時間と空間の概念が排除され、職人によってコピー&ペーストされていた。
時間と空間の概念、表現の自由が排除されていたことには、技術が未熟だったからというよりは、偶像崇拝を避けるためという目的があったからだ。
イコンは「偶像崇拝」のそしりを免れるために、絵は背後にある聖性を映す単なるスクリーンにすぎない、と考えられていたため、作者の独創性や創造性の発揮は固く禁じられていたのである。
チマブーエはその絵に立体感や感情を導入し、人物の動きや表情に「変化の兆し」を与える。
つまり時間と空間を表現したのだ。
自然な赤ん坊の仕草で母親の頬に触れる幼子イエス
わかりやすい変化の例はこちら、幼子イエスが、母マリアの頬に無邪気に触れている。
ドゥッチョに影響を受けて展開された作品では、さらにイエスは母に頬を寄せ、首に手を巻きつけている。
それまで、イコンの聖母子像に、親愛の情を表現したり、動きを加味することはなかったのである。
チマブーエが「時間と空間の概念を導入した」ことで、「ひとつの瞬間に複数の時間が同居する」ジョットへと続くルネサンス的表現が可能になった。
時間がなければ、観る側の想像力も動き出さない。 つまり、芸術作品が実在しないものを「あるように」思わせるには、時間という舞台の上で鑑賞者の意識を動かす必要があるのである。
もし芸術が「完全に固定され、変化しないもの」だったとしたら、それは単なる記号に過ぎず、感動という人間中心的な「動き」は生まれないのであろう。
ルネサンスの本質が「空間と時間の再発見」だったことを如実に示しているのではないだろうか。
鑑賞者を祝福するかわりに自身を指さす愛らしいイエスの、赤ん坊らしい間違いを写実的に捉えている
母マリアの(子の将来を知る)悲しみ深い表情よ
ベリーニは赤ん坊を描かせると天下一品である
他には岩館真理子がいる(笑)
最近、考えたことに共通するのは、
人間が考える美のひとつの基準である黄金比は、完全な規則性ではなく、動的なバランス「ゆらぎ」を持つという。
それこそが、人間が「時間の流れの中で美を感じる」感覚なのかもしれない。
つまり、黄金比が人間にとって美しく感じられるのは、それが単なる静的な規則ではなく、「時間とともにあり、変化する美しさ」を体験させるものだからだ。
......
ルーヴルでは、『モナ・リザ』の部屋の痛み具合が喫緊の問題になっているという。
部屋はバーゲン会場のようで、例えばティチアーノのすばらしい作品が多く展示されているのに、どなたも見向きもしないという残念さ。
しかも、その外側の部屋にはレオナルドの重要な作品が何点もあるというのに、ほとんどどなたも立ち止まっていない。
そりゃ、『モナ・リザ』は彼女の視線の動きや、背景、動的なバランス「ゆらぎ」からしてお手本のような作品であり、人の心を惹きつけてやまないとは思うが。
『モナ・リザ』だけのための小屋を作って、そちらに展示すればいいのに...オランジェリー美術館にモネの『睡蓮』だけが飾ってあるように。
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エッフェル塔はパリのシンボルに
通常はベルギーのブルージュからパリを目指すので、パリの環状線には北のサン・ドニから入り、パリの市門のひとつであったPorte de la Chapelleで入市するのだが、今回は大西洋にそってカレー、ルーアン、途中ジベルニー(モネの庭のあるところ、冬だから今回はパス)などをかすめ、西のブーローニュの森16区の方から入市した。
エッフェル塔はパリの街の中心からさまざまな角度で、お天気によってはっきり見えたり、雲のスクリーンの上に映る映像のように見たり...久しぶりにこんなに近くで見た。
19世紀の作家、モーパッサンは、エッフェル塔1階のレストランによく通ったという。
好きだったから? ではなく、「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」だと。
(モーパッサンの『ベラミ』や『脂肪の塊』は、今読んでも相当おもしろい)
エッフェル塔が建設された1889年当時、多くの芸術家や知識人はそのデザインを酷評した。
フランスの伝統的な建築様式に親しんでいた人々にとって、鉄骨で構成された巨大な塔は「無用で醜悪」な存在であったという。
これは、当時のフランスの建築界が「ボザール様式(Beaux-Arts)」を理想としていたことと関係がある。
ボザール様式は、古典主義に基づく石造りの、対称的で、装飾豊かなデザインを絶対視しており、「美しい建築とはすなわち石を用いた美的デザイン」という固定観念が根強かったのだ。
そのため、錬鉄(現代は主に鋼鉄、錬鉄以前は耐久性に劣る鋳鉄)素材そのもののエッフェル塔は「工業的すぎる」「芸術ではない」と見なされたのである。
上記のモーパッサンやシャルル・グノー、アレクサンドル・デュマ・フィスなど、著名人300人が連名でエッフェル塔に抗議したのは有名だ。
彼らはエッフェル塔を「醜悪な鉄の怪物」「ボルトで留められた鉄の煙突」などと酷評し、その影はまるで「パリに落ちたインクのシミ」のようだとまで。
しかし、時代が進むにつれてエッフェル塔はパリの象徴として受け入れられ、今では世界的に愛される建築となっている。
この写真は、1870年創業、2012年に改装された、ポン・ヌフのたもとにある百貨店、サマリテーヌ。
外観はアールヌーボーとアールデコの折衷のようで、内部には錬鉄性の美しい階段と天井がうまい具合に保存されている。
19世紀の産業革命により、鉄とガラスを多用した建築が急速に発展した。
特に、鉄骨構造は広い空間を支えるのに適していたため百貨店(ボン・マルシェ、ギャラリー・ラファイエット、プランタンも)、鉄道駅(オルセー、サン・ラザール、リヨン駅など)、橋(アレクサンドル3世橋)、万博会場(ロンドンの水晶宮)、パサージュ(ギャラリー・ヴィヴィエンヌ、ギャラリー・ジェフロワなど)、市場(レ・アル)など、産業革命と手に手を取った作品が多く生み出された。
なんと美しい百貨店。
こちらも当時は散々な言われようだったそうですよ...
美的価値観というのは決して普遍ではない、ということがよくわかる。
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ボヴァリー夫人の夢と現実 ルーアン
普段は英国島のフォークストンからフランスのカレーにユーロトンネルで渡り、ベルギーのブルージュを経由してパリ入りするのだが、今回はカレーからベルギーには入らず沿岸沿いを南下、ディエップをかすめて、ノルマンディ地方のルーアンを目指した。
ルーアンを目的地にすると、気持ちはまるでエンマ・ボヴァリーのようになった。
ルーアンは、わたしの最も敬愛する作家フローベールの生誕の地であり、わたしはここをエンマ・ボヴァリーと切り離して考えることができない。
昨夜はつい電子図書版の『ボヴァリー夫人』を買ってしまい、ベッドの中で午前3時まで読み続けてしまった...
近代になって自由に見られるようになった「夢」が、凡庸な現実の前に破れる「ボヴァリスム」 (bovarysme) という造語すら生んだ、あの『ボヴァリー夫人』の主人公。
ボヴァリー夫人は「わたしだ」。
ルーアンの美術館には、近郊の街ル・アーブルで育ったモネの30近い連作、『ルーアン大聖堂』の一枚が架けられている。
現実のルーアン大聖堂と、モネのルーアン大聖堂。『ルーアン大聖堂:扉口とアルバーヌ塔、悪天候』1894年。
どちらも建築が溶け続けるようだ...
ルーアンは『ボヴァリー夫人』の中では、エンマの夢想が投影されるファンタジー・ランドとして、あるいはルーアン大聖堂はモネの「悪夢」でありながら、それ自体は決してエンマやモネの「物語」に染まることはない。
ただ現実の都市、現実の大聖堂として存在し続ける。
エンマは死の前にそれに気がついてしまったのだろうか。
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