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80年代のコーゾー




最近、80年代ポップスを楽しんでいる、と書いたが。

飽きた(笑)。
早いな。


80年代に流行ったものの多くが「そこはかとなく恥ずかしい」要素を抱えているということに原因があると思う。
そこはかとなく恥ずかしいとは、つまり、がんばりすぎで、即物的で、具体的で、ということで、80年代が大衆文化の爛熟期であったことから発している...(これはテキトーな説明)。


あるいはこうも言える。サブカルチャーのように「構造」しかないものは、文化圏や言語圏のしばりをゆうゆうと越えて行く。しかし「構造」しかないゆえに退屈なのだ。

思い出として抽象的なイメージをもて遊んでいるうちは美しいのだが。

ポップスはしばらくお休み。

今かかっているJohn ParrのSt. Elmos Fireとか、かなり抗い難い魅力だけどなあ(笑)。

.....演歌やん(<そこにあるのは構造だけ)。



やはりお休み。
静かにしてストラビンスキーとビュレの掛け合いでも読むとするか。


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