日本・ベルギー・英国 喫茶モエ営業中
Brugge Style
日本人はなぜ冷静か
外国メディアが競って非常時における「日本人の冷静さ」を取り上げている。
被災地で列を作り、ゆずり合い、深々とお辞儀をし、現地入りしたレポーターをさえ気遣う被災者の方々の高貴な姿は、人の心を打つ。
わたしも自分が日本人のはしくれであることを大変誇りに思う。
なぜ、日本人は冷静でいられるのか。
各国のメディアが日本学者を連れてきて分析しているように、冷静の要因はいろいろ考えられるだろう。わたしは日本人が非常時にも冷静で礼儀正しくいられるのは、
日本が「均質的な社会」であること、
さらに、西洋とは逆に自然を「人間の力でどうにでもできるものとは思っていない」ところ
この2点にあると思う。
日本社会と日本人はこれまで、日本人には「個性がない」「多様性がない」と、さんざん悩んできた。
アメリカ人の自由主義を見習え、フランス人の個人主義を見よ、とか。みんなそろって外国の真似をしよう、さあ個性を身につけよう、と相和するところがもう全然個性的ではないのだが。
学校で、「みんな違って、みんないい」とみんなに声を合わせて合唱させ、みんながそれをおかしいと思わないのが日本人なのである。
でも、誤解しないで頂きたいが、わたしはそれこそが日本の「個性的で」いいところなのだと思っている。
個性が少なく、均質性の強い社会では、よく言われるように出る杭はガンガンうたれる。
なぜ日本人が「常に群れの中を均質にするようお互い気を配る」習性を身につけるに至ったのかは知らないが、日本列島においては、歴史を通して、均質性の高い共同体の方が、均質性の低い共同体よりサバイバルする確率が高かったのだろう。
特に非常時には、共同体の誰もが個性的な行動をとり、個性的なことを言い合い、礼を欠いて敵を作ったり、誰かを村八にしたりされたりするよりも、イワシの群れのように動く方が効率がよいのだろう。そのことを日本人はDNAレベルで生来身に付けているとしか思えない。
「常に群れの中を均質にするようお互い気を配る」共同体...そりゃ落ち着いて行動できますて。だってみんなが同じ言葉を話し、同じ物を食べ、同じような家族構成を持ち、同じような考え方をする「身内」。そこでは他の共同体構成員に「変」とレッテルされることが命取りなのだから。
また、日本が極端な階層社会でもなく、多言語社会でもないのはこういうことが関係しているのかもしれない。
次に「自然を人間の力ではどうにもできないもの」であるという考え方。
西洋の科学は、自然を通して神を理解するという観点から、次第に自然は人間の進歩のために利用するものという観点で発展してきた一方、日本はちょっと違う。
わたしは日本語の「しょうがない」という言葉が日本人の自然観をよく表していると思う(って絶対に誰かの受け売り)。
これに関しては今日はこれ以上駄法螺を吹く時間がないので次回...
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )