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Brugge Style
そうなんやなあ
娘が言った。
英語には日本語の「かっこいい」に該当する単語がない、と。
わたしが "cool" ではダメなのかと聞くも、うちの14歳は「やれやれ、ほんとうにママは何も分かってないのね!」という態度を前面に押し出しながら慇懃無礼に「クール」では日本語に含まれている「かっこいい」のニュアンスが十分表現できない、と言う。
「スマート」でもいけないらしい。
へえ、そうなんやなあ。
彼女が日本語の「かっこいい」をどのように理解しているのか知りたかったので、オランダ語の "knap" を当てたらどうなのか、と聞いてみたら "cool" よりはずっと「かっこいい」のニュアンスに近いと思うがそれでも十分ではない、と言った。
そのことから、娘が日本語の「かっこいい」を、英語の "cool" を含みつつ、さらに、端正、凛々しい、爽快、痛快などという意味で使っているのらしいと見当がついた。
ちなみに彼女は、英語の "cool" はイタリア語の "sprezzatura"(スプレッツアトーラ)、つまり「計算された無頓着さ」という意味合いで使っているようだ...
また「ママ、違う」と言われそうだが(以前スプレッツアトーラについて書いたこちら)。
わたしも日本語にあって英語にない単語やニュアンス、またその逆について時々考えたりする。
「お疲れさまでした」「よろしくお願いいたします」「お世話になります」「お邪魔いたします」「ご迷惑をおかけします」「義理がある」「(精神的な)余裕がある」「世間」、果ては「侘び寂び」とか...あは! まさに世間一般的な日本人の中年、という感じですな。
でも「かっこいい」について考えたことはついぞなかった。
言語によって世界の「分節」の仕方は違う。
日本語にも「雪」を表す言葉はたくさんあるが、イヌイットの言葉には日本語以上に多くの「雪」を表す単語があるというのは有名な話だ。イヌイットは「雪」を日本語よりさらに多く分節する。彼らに取ってそれが感心事、重要なことがらだからだ。逆に言うと、その単語があるということによってのみ、その物やことは存在する。
このように住環境や文化背景、言語によって、世界の分節の仕方が違うというのは分かっていたが、同じ家に住み、同じ物を食べ、わたしがよいと思う文化を重点的に経験して来、日本語ではわたしと全く同じ口調の娘と世界の分節の仕方が違うというのは、そうなんやなあ、と新鮮な感じだった。
わたしにとっては「かっこいい」も「クール」も「クナップ」も「スプレッツアトーラ」も全部同じだが、14歳の、複数の言語を自由に操る娘にとってそれらは全部微妙に違うものなのだ。
...
などと考えていたら、タンブラーでこんな記事が回ってきた。
10年前の記事だが、要約すると、1000人の言語学者やエキスパートに聞いたところ、訳を当てるのが最も難しい単語は、コンゴ民主共和国で話されている言葉にある、 "ilunga" だということが分かった。ちなみに "ilunga" とは、"a person who is ready to forgive any abuse for the first time, to tolerate it a second time, but never a third time" 「1度目、2度目は不当な扱いにも耐えるが、3度目はない人のこと」(「仏の顔も三度まで」やんか!)。
2番目に難しいとされたのがイディッシュ語の "shlimazl" で "a chronically unlucky person"「慢性的に不運な人」。(「ユダヤ人」...自分らのことやんか!)。
3番目が "naa" 。 ”to emphasise statements or agree with someone” ...「意見を強調したり、誰かに賛成するときに使う」。
うっそー、そうなんやなあ!
3番目、「日本の関西地域で使われる」「なあ」なんですってよ!
記事は、どの単語ももちろん辞書で対訳を見つけることができる。しかしそれらの意味は(対訳の中にあるというよりも)、文化内での経験、文化内での単語の重要性の中にある、としている。
いや、もちろんそんなことは分かってるけど、「なあ」なんやなあ! (しつこい)
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