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Brugge Style
australia's impressionists

ナショナル・ギャラリーで終了間近のAustralia's Impressionists展へ。
「オーストラリアの印象派? 空き時間があったら行こう...」などと思っていたら、なかなか行く機会がなく、
「今週末で終わり? べつに行けなくてもいいかなあ」と思った瞬間に空き時間ができた。
わたしが知るオーストラリアのアートといえば、恥ずかしい話、アボリジニのアートか、うちにある細工のすばらしい儀式用ブーメランか、最近注目しているオーストラリア出身のデザイナーとか(Ellery, Alex Perry, Zimmermann, Alexis, Michael Lo Sordo, MLM Lebelなど)に限られている。
そういえばBBCラジオで「シドニー・フィルはいいよね」という会話をしているのを聞き、苦笑したことがある(誰もウィーン・フィルを「いいよね」などと評しない、というオチ)...
すべてわたしの世間の狭さ、無知のせいなのだが、今までオーストラリアに「印象派」があるなどとは考えたこともなかった。
19世紀、ヨーロッパで印象派が活躍していたころは、ちょうどオーストラリアが経済的に豊かになり始めたころに重なり(メルボルンは一時期大英帝国内で2位の豊かさを誇ったそうだ)、経済的豊かさの次には文化的豊かさを求めるのは人間の性、印象派はなんとオーストラリアの「ナショナリズムの高揚」のための重要な媒体とされたそうだ。
オーストラリアの美しき自然を強調し、人々に誇りと自覚を促し、彼らを「オーストラリア人」にするには印象派絵画が非常に有用だったらしい。まさにベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」。
芸術的には本家印象派の二番煎じかと感じたが、そういう事情はわたしはすごくおもしろいと感じた。
しかしなんですな、西洋の画家というのは、どこもかしこもよく知った「西洋の風景」にしてしまうのですね...フランスの田舎と変わりない「オーストラリアの夕暮れ」を描いて何になるのか? とちょっと考えてしまった。
ホームシック?
西洋人に限らず、どんな人間もついつい「自分の知っているものに引き寄せて理解してしまう」ものなのかもしれないが。
今まで考えたこともなかったオーストラリアの印象派、年齢を重ねるにつれ、さらなるオープンマインドを心がけ、毎日新しいことを知っては驚くような人生が送りたい。
(写真はArthur StreetonのAriadne)
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