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ブルージュはロマンティック?





先日、わたしも好んで使う「ロマンティック」という大衆的な言葉の意味は何なのかと考えてみた

「ロマンティック」は恋愛や旅情、夢や想像、感受性を重視し、個人の独自性を賛美する。
19世紀の産業革命の発展と個人主義から生まれた「手の届かないものへの思慕、憧憬」などと切り離せない感情なのだろうと。


ところで、「ロマンティックな街」検索の一番上に出てくる例えばこちらの記事では、ブルージュがパリと並んで世界で一番ロマンティックな街に数えられている。


ブルージュはロマンティックだ。
もしそうでなければ、世界の隅々から毎年多くの観光客を呼び寄せないはずがない。

わたしはブルージュに13年間住んだので、あの中世の街に現実感を抱いているものの、理解できないわけではない。


ブルージュがロマンティックなのは、もともと素地があったとはいえ、ブルージュが比較的最近になってからロマンティック風に造りあげられた街だからである。

当然といえば当然なのである。

以下、どういうことなのかを述べる。


13世紀から15世紀まではブルージュは比喩ぬきで、ヨーロッパ一栄えた都市であった。
交易と金融が繁栄し、宮廷が置かれた。
結果として優れた建築物が造られ、芸術が花開いた。

その後、運河が使用できなくなったため徐々に衰退、中世の面影を残したままで歴史の表舞台から姿を消す。

17世紀から18世紀にかけては新港を開拓したおかげで繁栄が一時期戻ってくるが、19世紀初頭、産業・経済の変化についていけなくなり、住民の4割が貧困層を形成するまでに落ち込んでいく。

経済的にぼろぼろになったブルージュに、19世紀の半ばごろ移住して来た人たちがいた。

ゴシックに魅了された懐古趣味の英国人たちである。
ヨーロッパでは長らく辺境の国だった英国がすっかり覇権国家に成長していたのである。
彼らは18世紀以降の啓蒙思想(理性)、その反動のゴシック趣味(感性)を併せ持っていた。


彼らは初期フランドル派の絵画やゴシック建築を再評価し、展覧会「ブルージュの初期フランドルは絵画展1902年」を開催するまでになる。

実際、このときに修復されたり、再建されたネオ・ゴシック様式の建築(例えばマルクト広場の州庁舎など。上写真の白い壁の建物)が、実はブルージュのあの雰囲気をかもしだすのに一役買っているのだ。
州庁舎の建物、建築された19世紀当時はふさわしくないと非難轟々だったそう...

ブルージュは、豊かになった英国人が憧れ、失って懐かしんでいた中世ゴシックの街そのもの、ロマン、そのものであったのだ。


これがきっかけでブルージュは観光都市として再び復活するのである。

ロマンティックはブルージュでは飯のタネなのである。


以上、ブルージュのグルートゥス博物館Gruuthusemuseumの映像作品で習い覚えたことを参考にしました。
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