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Brugge Style
titian love, desire, death@national gallery
3月23日にロックダウンした英国、イングランドでも徐々に経済活動が再開されつつある。
先週末(4日土曜日)には、レストランやパブなどの飲食関係、美容室、宿泊施設、屋外のジムや子供の遊び場、映画館、美術館やギャラリー、テーマパーク、図書館、社交クラブやコミュニティーセンター、観光地、礼拝施設や、30人までの結婚式の再開が許可された。
その流れでロンドンのナショナル・ギャラリーはメンバー(<年会費で誰でもなれる)向けに6日からオープンし、もちろん馳せ参じた。
一般には今日8日からの営業再開。ルートを選んで一方通行の観覧が義務付けられる。
東京の国立西洋博物館では10月までナショナル・ギャラリー展が開催されていて、ロンドンから61点も日本へ行っているそう。大規模ですね。
さて、3ヶ月ぶりに出たロンドン、ナショナル・ギャラリーでの第一の目的は、特別展『ティツィアーノ 愛・欲望・死』を見ることだった。
彼の晩年の作品群「ポエジア」つまり「詩」がテーマの展覧会だ。
古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』に描かれている神話の「山場」を題材にした6枚の作品を、「可視化された詩」とティツィアーノ 自身が呼んだのである。
わたしは個人的には芸術の一面として、それが「美とは何か」を問い続け、「理想」、つまりすぐ過去になってしまう現在、現実にはありえない想像上のものやできごと、戻らない過去、未来の希望などを描く...があるかと思う。あくまで一面ですよ。
優れた芸術家が見ているものを誰にでも分かるように現してくれ、波紋を呼び、世界をより複雑に豊かにし、遠いものと遠いものをつなげてくれる、わたしにとってはこれが面白くてしょうがないのである。
ティツィアーノは15世紀から16世期にかけて大活躍した盛期ルネサンスのイタリア人画家だ。ヴェネツィア派で最も偉大な画家である。
彼はヴェネツィアのベリーニ家で修行し、ジョルジョーネは兄弟子だった。
当時の人にしては長命で多作、生涯名声に恵まれ、あちこちからひっぱりだこ、他の芸術家の手本とインスピレーションの元となり、時代からも運命からも愛された芸術家だ。天晴。
死までの16年間、彼はスペイン王フェリぺ二世のもとで過ごし「ポエジア」を制作した。父の神聖ローマ帝国皇帝にしてスペイン王カルロス五世の時代からティツィアーノ は贔屓だった。
この晩年の「ポエジア」6枚は、ティツィアーノの最高傑作といわれているが、わたしもそう思う。
今回の展覧会は、散り散りになっている「ポエジア」を6枚合わせて展示し、詩の持つ多面性を増幅させる試み、とでも言えばいいだろうか。
多様な色使い、タッチが複雑に溶け合い、えも言われぬ効果を現す6枚。油彩技術の持つ可能性を最大限に生かしている。
「最後の作品群に明らかなティツィアーノの手法が、若かりしころとはかなり違ったものであるのは事実である。
青年期の作品は、特別に洗練されたすばらしい入念さで完成されており、近くから見られることにも遠くから見られることにも耐えるが、最後の作品群は大胆なブラシ使いと大まかな輪郭で描いてあり、近くからでは理解できないが、離れて見ると完璧な姿を表すのである。
(中略。この手法は誰にでも真似できないものだと書いてある)
こうした手法は優れた判断によって行えば、美しく、人を驚愕させる。その方法によって、絵は生き生きと、何の苦労もなく描き上がったかと思わせるのである。」(Vasari "The Lives of the Artist" Translated by Bondanella 504頁 訳はモエ)
ヴァザーリは『列伝』の中で、ミケランジャロに以下のように言わせている。これは実際にミケランジャロの発言なのか、ヴァザーリがミケランジャロを通して自分の意見を述べたのか分からないが。
「(ミケランジャロはティツィアーノ を)称賛し、ティツィアーノの色彩も様式も好みだがとはっきり述べてから言った。ヴェネティアでは最初の段階でデッサンを学ばず、また学ぶ手段もないのは残念だ。
『もしあの男が』、彼は言った。天から与えられた才能だけでなく、特に実物を描写することにおいて、もしも技術とデッサン力を磨けたなら、どんなアーティストも彼をしのぐことはできないだろうに。
彼はすばらしい精神の持ち主で、最も魅力的な溌剌とした様式を持っているのだから。」(同上501頁)
以下、展示順に
ウェリントン・コレクション蔵『ダナエ』(1554から1556年ごろ)
プラド美術館蔵『ヴィーナスとアドニス』(1553年ごろ)
ナショナル・ギャラリーとスコットランド国立美術館共同所有『ディアナとアクタイオン』(1559年)
同『ディアナとカリスト』(1559年)この2枚は一組
ウォレス・コレクション蔵『ペルセウスとアンドロメダ』(1554から1556年ごろ)
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館蔵『エウロペの略奪』(1562年)
ナショナルギャラリー蔵『アクタイオンの死』(1559年ごろ 未完)
ティツィアーノ は多作で、ナショナル・ギャラリーにも結構あり、展覧会の隣の部屋に青年期の作品がまとめてみられるよう移動してあったのはとてもよかった。
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