goo

あと何回、碧色の夏を迎えられるのだろう




あと、何回夏を迎えられるのだろう?

この絵葉書のような風景を見られるのは?

自分の寿命だけではない。
人間が引き金になって起こす自然災害、疫病、戦争、「資本」の無限運動などのためだ。


夫はわたしに聞く。
なぜ何枚も同じ風景の時刻の写真を撮るのかと。
それはねえ、わたしがいなくなれば、この風景は消滅してしまうからですよ。





これは客室の単なるシャワー室の壁。この色! こういうのは夫には「?」だが、わたしはこの色をどうしても残したい...




残したい色、日の出と日没。

ベトナムの日没の写真はもう載せたので、上の写真は夜明け。南シナ海、午前5時。




部屋のテラスに出ると、外の空気はまったく冷えていない。プールの水さえ温泉のよう。
ガラス窓には、夜の間さまよって行き場を失った水の雫が...


去年、インドネシアでレヴィ=ストロースの、なんども読み返してボロボロになった『悲しき熱帯』を再読したのだった。あの夏は、どこに行ってしまったのだろう...

わたしが私淑するレヴィ=ストロース先生は、日没には何ページも割くが、夜明け、日の出(日はまた昇る)には非常にそっけない。


こちらは日没((日没はガムランの調べ)。レヴィ=ストロースの文章は、何度読んでも、わたしはうっとりする。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« ベトナム珈琲... 魔法のランプ... »