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上海のクリスマス




上海のクリスマス...

上海では、日本への往路はフランス租界にあるカペラ、復路は共同租界にあるウォルドルフ=アストリアに宿泊。

カペラは伝統的なシクメンという建築を改装した建物、ウォルドルフ=アストリアは租界時代の新古典様式の紳士クラブを改装した建物...わたしにとっては両方中身を見たい! 対象だったのだ。


東洋に西洋列強が開いた居留地(租界)には、貿易拠点、税の優遇、植民地支配の足がかり、治外法権の享受、資本の安全確保、軍事的・地政学的優位性保持などの帝国主義的な目的があった。

上海は1842年の南京条約(アヘン戦争の結果)により開港。
ちなみに日本では安政五カ国条約(幕末の1858年、江戸幕府がアメリカ・オランダ・ロシア・英国・フランスとそれぞれに結んだ不平等条約)により、神戸や横浜などが開港された。

そこには西と東が出会うユニークな雰囲気が漂う。

搾取される側の中国人(や日本人)が当然ながら大多数だった一方、租界では西洋式の生活を固持する人々や西洋式高層建築で華やかだったろう。

ましてやクリスマスのこの時期は...




上海の外灘に華やかなファサードを今も残す、当時の英国紳士会:上海クラブは、1920年から1930年の上海で最も高級な会員制クラブであったという。

現在はアメリカ資本のウォルドルフ=アストリアが入る新古典様式の建物には、「ロング・バア」というマホガニーの12メートルものバアが設置されており、一時は世界で一番長く、非常に有名だったそうだ。

これは長らく失われていたものの、2010年にウォルドルフ=アストリアが入った際に、当時の写真などを参考に再現された。

このバアがどうしても見たかったのだ...




ウォルドルフ=アストリアではこのサラダ「ウォルドルフ・サラダ」を食べなくては!!

お部屋も大理石が基調で、広く、見晴らしもよく、サービスもすばらしく、期待より数段にいい。




今回の一時帰国の日本では、伏見、鹿児島(そして横浜と神戸も)を訪れ、帝国主義が世界を覆うなか、列強の餌食になるのを避けるがため、日本の志士がいかに活躍(あるいは搾取。自国民を含めて)したかを学んだ。

あの大国・中国(当時は清)が、どんどん力を削がれ、収奪されるのを見た彼らは震撼したことであろう...

2025年はこのころの歴史をもっと勉強したい。




そうだ、もうひとつわたしは旅の間に学んだ。
日本の観光地でマナーが悪い団体観光客に出会い、嫌な気分になることがある。そして「この国の人たちは...」と断定的な評価を下してしまいそうになる。

今回、上海で出会った中国の人々は、どの方も非常に気持ちの良い親切な方々で、全く英語を話せなくても一所懸命説明しようとしてくれたり、なんとか力になろうと考えてくれる方たちばかりだった。
静かに話す人も、陽気な治安・保安官もいた。

親切にしてもらった経験があったり、ひとりでも親しい外国人がいたなら、その国を全て知ったかのようにひっくるめて悪く言ったりはできなくなる。そういうことって大切ではないか。


明日のクリスマスからは日中、光の時間が徐々に長くなり、冬の闇の力が弱っていく。
光の誕生、それが救い主イエス・キリストの誕生日である。
わたしは戦争やヘイトなどの闇の力で勝つよりも、対話と共栄の光の力の未来を選びたい。
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