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ウェッジウッドの里


Stoke-on-Trentのウエッジウッド本社のティールーム。
期待よりもカジュアルというか、空港のカフェテリアのようだった。



大阪の梅田のヒルトンプラザに、ウェッジウッドのティールームがあった。〜90年代。
ご記憶の方がいらしたらうれしいなあ。

よくお茶を飲みに行った端正なティールームだったのだが、いつの間にかなくなってしまった。


18世紀にジョサイア・ウェッジウッドが起こしたウェッジウッドは紆余曲折を経て、買収し、買収され、95年には低価格化ですっかり雰囲気が変わり、現在ではフィンランドの会社の傘下になり、生産はほとんど中国で行われている、と聞く。

中国で生産されたウェッジウッドはウエッジウッドではない...という趣旨の記事を読んだ記憶があるが、中国生産ではなく、95年の低価格化が雰囲気を変えたのだとわたしは思っている。

ヨーロッパの磁器は、東洋の磁器を真似すべく開かれた最初の釜マイセン(18世紀)などを例に挙げるまでもなく、中国や日本の磁器に対する憧れそのものであり、磁器にいわゆるシノワ柄が多いのも、ヨーロッパの博物館にはこれでもかと景徳鎮や伊万里が飾られているのもその名残だ。
マイセンにはその名も『柿右衛門』というシリーズもある。

だから、ウェッジウッドが中国産になってしまっては...と嘆いている方には「回り回って、あれほど憧れた中国で生産できるようになってよかったね!」と、言うしかない(笑)。


チェスターからの帰路、イングランド陶磁器の里、Stoke-on-Trentに立ち寄った。
ティールームには昔のこの釜のイメージは皆無だったが、V&A主催のウェッジウッドの歴史博物館がとても興味深かった。




こちら、『ポートランドの壺』も...

紀元後25年頃の古代ローマで作られたカメオ・ガラスの壺を、18世紀、イギリスの外交官が英国に持ち帰った(現在は大英博物館所蔵)。
これをモデルにしてジョサイア・ウェッジウッドが1790年に作製した同名のジャスパーウェアが上の写真の『ポートランドの壺』だ。


ちなみに、ウェッジウッドが古代ギリシャ・ローマをテーマにいわゆるジャスパー・ウェア(あの、ウエッジウッド・ブルーの地に白のカメをほどこしたデザインね)を多数制作した背景はこう説明できるかもしれない。

18世紀前半、ヘルクラネウムとポンペイの遺跡が発掘され、西洋人の古代への関心を集めた。
それまでの宮廷的な、装飾的・官能的なロココの流行に対する反動が盛り上がり、より精神的で簡素で強い様式が求められるようになる。

「高貴なる単純と、静かなる偉大」(byヴィンケルマン)、とりわけギリシアの芸術が模範とされるようになったのである。宮廷文化に対する市民イデオロギーともいえよう。

ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンは、古代ギリシャこそ美のスタンダードであるべきと定めた本を出版、これが大きな反響を呼ぶ。
ちなみにこのヴィンケルマンが「ギリシャ彫刻は白い」と述べたため、古代ギリシャやローマの建築や彫刻は漂白されるようになったのはあまりにも有名な話である。

当時、英国で盛んだったグランドツアー(17世紀初頭から19世紀初頭にかけ、イギリスの裕福な貴族の子弟が行った大規模な海外旅行で、イタリアは人気の旅先だった。彼らは競って古代ローマの文物を買い漁った)の出現により、ヨーロッパ全土に新古典主義の復活が広まり、多くの偉大なコレクションの基礎となる骨董品収集の流行が始まった。

ウェッジウッドはこの流行に目をつけ、多くのジャスパーを製作したのである。

今も、英国のアンティーク商やガラクタ市に赴くと、さまざまな時代のジャスパーウェアが、比較的安価に手に入る。

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