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27 shades of black



『ハールレムの市民警備隊士官の宴会』1627年 フランス・ハルス美術館
なんと楽しそうな! 肖像のこのようなカジュアルな描き方はこれまでされなかったスタイル。
しかも人物配置のリズムも素晴らしい。
左の人、男前だなあ...



昨日、ゴッホについて書いたので、今日は19世紀に生きたゴッホが、ハーレム(アムステルのとなり街)で、17世紀に活動したフランス・ハルスの作品を見て感激とともに発した言葉を思い出しつつ。

'27 shades of black!'
「なんと27種もの黒!」



『ヤコブ・オリカンの肖像』1625年 マウリッツハイス美術館
ハンサムなヤコブ・オリカンの茶目っ気あるくすっと笑いの瞬間...
彼はハーレムの名士、裕福なビール醸造業者であった。



ハルスはレンブラントやフェルメールらとほとんど同時代、いわゆる「オランダ黄金時代の絵画」に活躍した。

八十年戦争でスペインからの独立を宣言したネーデルラント連邦共和国(ざっと今のオランダ)は、当時のヨーロッパで最も富裕な国、貿易、学問、芸術の最先端国家だった。

今では覇権はイギリス(<もう過去の栄光)、アメリカに移ってひさしく、オランダが最強の国だったなんてちょっと考えにくいけど...

ちなみに、15世紀のベルギーのブルージュ、16世紀のアントワープ、そしてアムステルダムに繁栄は移動して行ったのです...
わたしはこのことにとても興味がある。明日はこのことについて書こうかと思っている。


繁栄したオランダは、アジアにおける植民地経営と貿易の独占を目指し、1602年には東インド会社を設立する。
平戸に商館を開くのも間もなくのころである。


そういえば、4月に訪れた長崎の出島には、こういう服装のオランダ人が闊歩していたのだと想像して愉快だった。



『1627年の聖ゲオルギウス市民警備隊士官の宴会』1627年 フランス・ハルス美術館



アムステルダムが商業の中心地として繁栄した結果、ブルジョワ階級や商人たちが豊かになった。
彼らは芸術作品を、家や商人組合の建物に飾ることで、富、地位、アイデンティティを示した。

一方向では、自然とそれまでの、王侯貴族や教会から注文を受け、細部まで取り決めと契約のあったサイズも巨大な絵画よりも、小ぶりなものが好まれるようになる。

続いて、注文を受けて制作するのではなく、絵画をストックしておいて販売するというビジネス、つまり画商も誕生した。

また、カルヴァン主義(プロテスタントの一派)がオランダ社会に浸透していたことも重要な要素である。
カルヴァン主義は、そもそも教会内の彫像や絵画などの宗教的な象徴を極力排除する傾向がある。
宗教的な禁欲主義や道徳性を重視し、華やかな宗教的主題や装飾的な芸術よりも、個人の内面や個性をとらえた作品を好むようになっていったかもしれない。個人主義の発達もこの辺りに始まる。

このような社会背景下で、ハルスの作品は需要を高めた、という。


レンブラント『自画像』1669年。マウリッツハイス美術館
写真の撮り方が下手で、頭の上にハーローが...(シャンデリア反射)



例えばレンブラントも、対象の内面をキャンバスの平面に残酷なほど描き出す天才だったが、ハルスもまるでカリカチュアかイラストのように人の個性や顔つきを生き生きととらえ、まるで人物は動いているようにさえ見える。
速描きの名人でもあったようで、にもかかわらず、構図、人体への理解は、ほんとうに驚く。天才の技だ。


というわけで、人物の特徴や、筆触などに言及されることが多いハルスだが、この話の一番最初にもどって、さすがゴッホは目の付け所が違う。



『養老院の女性理事たち』 1664年ごろ フランス・ハルス美術館


「ハルスは27種類の異なる黒を使って描いている!」

と、ゴッホは言ったそうである。

たしかに。黒も人間の顔のように無限の表情があり、動きがあり、温度や、湿度や、厚みや、古さや、織り方や...があるに決まっている!

同じような年代、同じような顔つき、同じような黒い服を着た、上の『養老院の女性理事たち』 の厳格そうな女性理事たちをこうも描き分ける。




今はカラフルな服を好んで着るオランダの人々...

しばし17世紀黄金時代のオランダに遊んで、美術館の建物を後にした。
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