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猫...2




義理母はエンプティ・ネスト症候群(ポスト・モダンでは何でも分類されるのである)を恐れ、その対策として「わたしはおしゃれと子どもが大好き。だから子ども服の店を持ちたい!」と、20年程前に子ども服の店を始めた。

そしてリタイアは予定より2年間先送り(<こちらも症候群対策)、今年8月1日付けで正式に年金生活者となった。


もともと義理父が「妻に夢を見せてやっている」お店で、(義理母の「ビジネスをしていますの」幻想を最後まで潰さなかった義理父は偉い)特に最後の3、4年間など、14時から17時半までの営業、午前中はジムやお稽古に行ったりしていたから...まあ、なんですな、「岡田美里的ビジネス」をしていたという感じか。



「きっとヒマを持て余して苦しむに違いないわ。猫が飼いたい!」
彼女はリタイアメントを記念に、ブルー・クロスでもらい受けた猫を飼い始めた。生後3ヶ月の「みしゅ」。


みしゅ、かわいい。ふにゃふにゃ。ふわふわ。
ウチの犬はしっぽをちぎれんばかりに振って、小さい彼女のことを構いたがるけれど、いつも逃げられては悲しげに鼻を鳴らす。



動物って何か変化が起る時にやって来ることが多いのかな?節目とか、流れを変えてみる時、とか。
あるいは動物が来るから生活が変化するのか?
彼らがいなくなる時もそうなのか?
彼らもそう考えているのか?(我が輩...の猫のように?)

ふと思った。



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好きな男のためにおっちょこちょいをした話




わたしはチェーホフが好きである。

顔が長いという外見もだが、もちろん作品が
(実際彼はモテたそうだ)。


チェーホフの絵本があるという話を聞いたので、ひいきにしているインターネットの本屋で検索してみたら、4冊も出版されている。
おお、娘に「この世のスキ間をすべて意味で埋め尽くすことはできない」とか、「優れた文学の持つ要約の不可能性」とかいうことを教えるのに最適ではないか。早速注文。
こんなことを7歳児に教えよう!と意気込むのがもうおっちょこちょいである。


今日届いた。
「子犬のカシタンカ」(二頭目を飼うことがあったら、名前はカシタンカに決まり!)
「すぐり」
「少年たち」
「うたかた」








しかし、これ、絵本は絵本でもわが娘には読めない絵本である。

読み聞かせてやっても、
「こういった秩序も必要ではあるでしょう。でも、彼らの沈黙なしに、幸福は存在できないのです。これは世の中の全体がかかっている催眠術ですよ。」(「すぐり」)

大人にはうっとりものだが、子どもに説明(それも無茶な説明)をするとしたら2行につき1時間、必要だ。こういう文章は黙読用である。
中でもなんとか読み聞かせにいけそうなのは「カシタンカ」くらい。

仮に将来、娘の日本語が夢のように上達したとしても、この絵本が読めるならば普通のチェーホフが読める。絵本である必要は全くない。いや、普通のチェーホフなら、将来彼女は無理なくオランダ語か(英語でも)読めるのだ...

まさかこれらは児童書を装った「大人のための絵本」では...。
失敗。授業料8千円なり。



今後は好きな男が書いた本だからと舞い上がらず、版元に問い合わせるなりして、もっと落ち着いて買い物をしよう。

インターネットの本屋さん、あなたがたの便利さにはいつも助けられているワタクシですが、短編集であるならば目次が見られたり、絵本であるならばターゲットはどのレベルであるか(字の大きさとか文章の長さとか)などが分かるようなシステムを作って下さい。
好きなモノや男に一瞬興奮させられやすく、そのために一瞬おっちょこちょいを冒しやすく、また一般的には話題にもならない地味な本ばかりを購入するわたしには相当に役に立つに違いない...


もしこれらの本を気に入った!大好き!という子どもがいたら、会って話をしてみたいものである。わたしたち、お友だちになれそう。
あるいはチェーホフその人が夏の草原のピクニックで語るのを聞きたいなあ(もちろん映画の中などで充分よ)。



(今日のタイトルはちょっとチェーホフ風にしてみた。雰囲気だけど。)


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ブログの効能




車の後部ウインドウの調子が悪いので、ガレージに持って行った。


「この車、事故におうてるで」

えええええええええっ~
リセット・ボタン、押したい...


かなり強い力で後ろから当てられた(わたしは当てた覚えがないので)に違いないそうである。
不思議に外傷は全くないものの、後部ドア内を走っている電気系統が完全にやられていて、ドアを総取り替えしなければならないらしい。
いつ、どこで、いったいどんな巨大な物体に衝突されたのだ...
メルセデスから乗り換えてまだ半年だよ...
がっくり。

明日靴を買いに行くのはとりあえず止めよう...(笑)。


ブログに書くとちょっとだけ救われるのである。



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ベルギーへ移住する前、日本の一人暮らしの家には猫がいた。

黒猫ときじ猫。CharcoalとAgent。


犬好き、猫好きとはっきりしている人も多いようだが、わたしは目の中に入れてもイタくない的なかわいがり方をしないし、どっちでもいい派。

CharcoalとAgentは高齢だったためベルギーに連れて来ることは困難で、前夫がもらい手を探してくれた。

おそらくもうこの世にはいないと思われる。



メモ。

「スペイン語のanoranza(郷愁)は動詞anorar(懐かしむ)から来ているが、この動詞はもともとカタロニア語のenyorar(郷愁を覚える)から来ている。そのenyorarのほうはラテン語のignorare(知らずにいる)から派生してきている。このような語源に照らしてみると、nostalgie(郷愁、懐かしさ)とは無知の苦しみであることが判明する。あなたが遠くにいるのに、わたしはあなたがどうなっているのか知らない。」

(「無知」 ミラン・クンデラ)


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4畳半のラフマニノフ




夫は子どもの頃からラフマニノフが大大大好きだ。
お目々にお星キラキラ・ロマンティックで、人をやたらとびっくりさせる音の塊の炸裂、わたしも比較的、好きな方。


ゆえに夫はわたしにさまざまなラフマニノフを聴かせる。
クラシック音楽は好きだが、玄人的な聴き方は全く身についていないわたしにとっては、それらはどれも素晴らしく聞こえる(笑)。まあ、プロの生演奏であったり、CDやDVDになっているくらいの演奏であるからして、シロウトには文句がつけようもない技術レベルではあるのだ。もちろん演奏の好き嫌いくらいは身勝手に言えますけどね。


で、ラフマニノフにかかわらず、一般に演奏に対する批判的な言葉として「感情がこもっていない」という常套句がしばしば使われるのが、わたしとしては気になっていて...
まあ便利な言葉ではあるなあ、程度に思っていたのだが。




実は、汚らしい4畳半位の部屋で、19歳の男性がTシャツに短パン姿で演奏するのを聴いてしまった。
(4畳半だから当然だが)オーケストラなしのピアノ・コンチェルト3番。

段ボールが足下に積み重なり、ピアノには薄汚れた化繊のカバーがずれるようにかかり、汚れた窓ガラスからは外の木が枝を揺らしているのが見え、スープにでも使ったのかセロリの匂いがし、演奏の途中で隣の家からドリルで壁に穴を開けているような音が聞こえた...



たしかに彼の演奏はすごかったけれど、感情がこもっているかどうかはわたしにはやっぱり分からなかった。
しかし「汚い4畳半に象徴される人生のすごみ」状況が、聞き手であるわたしに尋常でない感情を吹き込んでしまったと思う(笑)。

こんな人がいるならば、わたしなんかもうピアノはやめようと思ったし、この4畳半に来るのはこれきりにしなくてはヤバいと思った。


でも抜け目なく、もし生まれ変わったらわたしを絶世のピアニストにしてくださいと、すかさず神様に願ってはおいた...


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