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Brugge Style
always on my mind
この時からずっと気になっていたCDがあった。
わたしは彼らのCD(あ、テープかな、当時は)を一枚も所有したことがなかった。ボーカルのN.Tの声が好きじゃないし、顔つきはもっと嫌いだ。
彼らの曲に親しんでいることを絶対に認めたくなかったので、当時、あちこちで彼らの曲を聞き、時代にぴったりのメロディーと歌詞とを心地よく感じながらも、頑に眼中にないふりをしてきたわけだ。
でもわたくしも先の方が短くなったから、気になることや物は「自分にとって」格好悪くても慈しまなければ損だ、と思い始めた。
それでアマゾンでこっそり購入。
どん欲に世界を味わうのだ!と誓ったとはいえ、やはり夫にバレたら恥ずかしい。わたしは「難解な曲」を好むというスノッブなイメージを夫に努めて植え付けている(笑)。だから彼は鬼の首を取ったように喜ぶだろう。
ぜひ人払いをして聴かねばならない。
とうとうCDに納められた18曲を中断することなく1人で聴けるチャンスがやってきた。今日、1人でブラッセル往復。
すばらしい天気だった。もし車がカブリオレで、もしここが湾岸線だったら、さらに気分がよかったろうに。
このままバックトゥザフューチャーで飛んで行ってしまってもええな、と思うくらい。
8ポンドの出費で、世界の頂点に立っているようなユーフォリアを堪能できた(笑)。
娘にはわたしのユーフォリアが伝染したようで、先ほどからなんどもこのCDをかけて踊っている...一人ディスコ。

80年代もまるで昨日のようだもん。
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反面教師
わたしは自分が欠点だらけであることをよく自覚している。
わたしの欠点の一つは自分の欠点に気がついているにもかかわらず、それを直そうとしないことだ。
先日、苦渋に満ちた表情でダイニングに座っていたことがあった。
タイミングの悪いことに娘が側にいたので、わたくしは今、こういう出来事に影響されてネガティブになり、八つ当たりもしているが(笑)、それは全き大人にふさわしくないから改めようと思う、この怖い顔は許して欲しい、と反省を込めて話した。そうしたら思いがけず、
「ママは悪くないです!ママは全然悪くないです!ママはいいママです!」と泣き出してしまったので、子どもにとっての母親存在の大きさを空恐ろしく思った。
おそらく、子どもの世界はかなり狭い。
彼女は9歳だから、母親とミルクと排泄だけの世界よりもだいぶ広い世界に住んでいるだろうけど。
そんな世界の住人にとって、母親が真善美を象徴していないとしたら、うむ、やはりそれは世界の崩壊、ハルマゲドンなのかもしれない。
世界崩壊を防ぐためだろう、子どもとの世界を密に完璧に作り上げようとする親がいるけれど(瑕疵のない育児をしようとする人とか、受験だけしか目に入らなくなっている人とか)それはそれでもっと恐ろしい。
子どもを育てるとは、子どもに完璧な養育を施すことではなく、ある日子どもが、母親は(つまり世界は)パーフェクトではないかもしれないと気づいたとき、それでも世界は崩壊などしないし、それでも自分の力で最善を尽くして生きて行かなければならないと教えることだと思う。
...ずっといいかげんでその場しのぎにやってきたわたしの言い訳じみてますな。
この世の中には「反面教師」というありがたい言葉がある。見本にならない行いからすら子どもは学べるという尊い学習能力である(もともとは文化大革命の時に使われ始め、意味合いが違う言葉だったそうだが)。
「反面教師」って、経験に基づいて初めに言った人、天才。
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vertigo '09
おかげさまで体調もかなり復活いたしました。
血圧の数値は変わらないが、常に嵐の海を行く船に乗っているようなめまいはなくなった。
未だに横臥時はつらいので、いろいろな体質改善を試みつつ、更年期(はやっ)を視野に入れつつ、前よりも健康になることを目指したい。
というわけで朝カツ丼!
...食べる元気は満タンだが、朝から揚げ物をするのはご免だ。
で、近所のホテルへ朝食に行った。
もちろんカツ丼ではなく普通のコンティネンタルな朝食をとるためである。
あっさりカフェオレとクロワッサン...と思っていたのに、「グレイシュリンプのクロケットならばご用意いたします。」と言われ、朝から揚げ物を食することができた。人生に起こるすべてのことに意味はなし、が信条のわたくしも、「え?これってお祝い?サイン?」などと喜んでしまった。
わたしは何に対して体調の回復を証明しようとしているのだ?
今週は天気がいいこともあって、身体がよく動く。
.....
vertigoのキム・ノヴァク、中学生の頃憧れた。
大人になったら、ああいう神秘的でアンタッチャブルな美貌で、ああいう服装をした女になって、危険がない程度にミステリーに巻き込まれたいものだと思っていた。
2歳下の妹は自ら探偵となり数々のミステリーに介入することを夢見ていた。彼女はその夢を叶えるべく、当時の彼女が考ええた限りの近道をするため法学部へ行った(笑)。
あまりの幼さにめまいするわあ。
などと当時の甘さを批判しつつ、わたしたちの淡い憧れは当時とあまり変わっていないことも認めよう。これはこれ、それはそれ。
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おばちゃん
ここ1年ほど、シャネルの服を避けている。
なぜならシャネルは、ショーのモデルのような体型で着てかわいいのはもちろんだが、平凡なおばちゃん体型も驚くほどうまくカバーしてくれる服だからだ。
心身ともに自分を甘やかし、余生すべての時間をおばちゃんとして生きるのはあまりにも残念なので、もっと体型や姿勢に気をつけ、時にやせ我慢しなければ着られない服を着ようと思っているのである。
わたしの中ではイタリアの服の方が緊張を強いられる感じがするのだがどうだろう。
ところでおばちゃんたちは非常に愛すべき人たちである。
わたしだって24時間常におばちゃんでいたくはないが、仲のいい友だちとしゃべっている時などにおばちゃん化するのは醍醐味がある。
おばちゃんって、どういう人たちか。
彼女らは「敢えてしない」という余裕のない人たち、である。
例えば、実行したとしてもそのことを誰からも咎められることはない行為を、羞恥心や自尊心や虚栄心や名誉心やらに制御されて、「やっぱりみっともないからやめとこ」と寸止めせず、
「ええやん、べつに」
と敢えてしてしまう域に達してしまった人たちのことである。
もしくは世の中の人間のすべての行動には「敢えてしない」というラインがあるということを気の毒なことにずっと知らないまま生きてきたか、若いときに置いて来てしまった人たちのことである。
だから電車の中でお化粧をする若いお嬢さんの行為もおばちゃんっぽいし、学校の式典に(たとえそれが若々しくおしゃれでも)ジーンズで参加する人もおばちゃんぽいし、わたしのように他人の行動に対してグダグダ注文をつけたがるのも非常におばちゃんぽい。人のことは笑顔で無言で放っとけよ(笑)。
おばちゃん方式にいい面があるとしたら、生きぬくのに効率がいい場合があることと、他人に適応できたら人間味のあるやさしい対応となる可能性もあることかな。
とにかく、中年になって、シャネルを着るなら今よりもシャープな体型と禁欲で着たいわけです。
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ああ、ワッフル
ワッフル。
さくさくと軽い生地のブラッセル・ワッフルと、どっしり重くパールシュガーの歯ごたえが効いたリエージュ・ワッフル...どちらがお好み?
わたしが子どもの頃の日本では、小判型のスポンジ生地にカスタードクリームをはさんで二つ折りにしたものを「ワッフル」と称して販売していた記憶がある。うん、わたしはあれが一番好きだ。たしかドンクの。
わたしはどちらかと言うと辛党だし、ワッフルを食べながら歩くことなどはありえないが(喉つまりそう...)、地元の子どもや旅行者は満足そうにそうしている。生クリーム、アイス・クリーム添え、チョコレートソースがけ...
はっ!「あ、たこやき食べてはる!」
チョコレートソースがけのワッフルを食べている人が、必ずフネに盛られソースをたっぷりかけられたたこ焼きを食べているように見えるのだ。
少しだけの情報から、自分が見たいように全体を再構成する脳。わたしは常に関西人としてしかものを見られないのか...おそらくこの「関西人の眼鏡」を「目からうろこ」のようにはずすことはないのであろう。
カーネルサンダースも見つかったことやし、そろそろ帰り時かな。
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