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世界的美女はどこにいる




日本の友人が

「ミス○○バースの世界大会で優勝した日本人に似てるって言われるんだよね。微妙だよね?」

と言った。

この友人は長身美女で、彼女こそ世界レベルで勝負できそうな感じなんだが。



わたしはこの日本人優勝者を知らなかったので、早速検索してみた。
なんということだろう、事実、日本では人気も支持も少なさそうなのである。

世界の檜舞台で優勝したのに?
全人類の、いやさ宇宙一の美女と認定されたのに?


日本人が日本人の彼女を支持できない理由は、ほとんどが「美人じゃない」から、という...




おそらく昨今の日本では、どちらかと言うと西洋オリエンティッドな容貌がもてはやされるのであろう。
お目目がぱっちりしていて、鼻筋が通っていて、アゴが小さくてという。
われわれ日本人はなぜか「その時代、その場所で支配的な美」以外の美というのをあまり好まない。


しかしコンテストで、「西洋の美女っぽい美女」というのを基準に優勝者に選ぶのであれば、何もアジアから選ばずとも本家から選べばいいのであって、今回(数年前だが)彼女が優勝者に選ばれたというのは、ミス○○協会が美の多様性を認め、かつ公平である(かどうかは知らないけど、そういう突っ込みはまた別のハナシ)、ということを示した結果であり、ほとんどの女性は喜ぶべきではないか、と思ったのだが。


前にも書いたが、欧州で人々共有の「美貌のイデア」というのがないわけではない。しかし絶世の美女の場合はともかく、一般には、顔のパーツの整い方よりも、自分の持てるもののプレゼンテーション能力の方がより重視され、その達成度によって美しいと評価されたり、されなかったりする...と言えば当たらざるとも遠からずだと思う(アメリカは微妙にどうかな...あそこは地上最強のバービーがいるからな)。

簡単に言えば、独特の美的雰囲気をまとった人、ということか。


例えば日本では褒め言葉になっている「女優の○○に似ている」などという評価の仕方はまず誰に対してもしない。

わたしは他の誰にも似ていないわたしであることが美しい、という評価の方がまっとうで喜ばれる。


わたしはこのミスが選ばれた審査過程を知らないから断言はしないけれども、彼女にはやはり他の誰にも代え難い、彼女にしかない魅力、というのがあったのではないかと想像する。

そして日本では「他にはあり得ない、この人固有の魅力」というのは受け入れられにくいのである
(それが「日本」の弱みでもあり強みでもある)。


以上が彼女を見て思ったことだ。


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意味の国のアリス




以下、ティム・バートン監督作品、Alice in Wonderlandの内容が含まれています。内容を知りたくない方はご注意下さい。




「不思議の国のアリス」は子どもの頃から最も好きなお話のひとつだ。

役者が揃っている(ヘレナ・ボナム・カーターやアン・ハサウェイのいってしまっている加減が好き)こともあって、
去年から楽しみにしていた...

楽しみにしていたのに...




映画が原作に忠実でなければならないとは少しも思わないが、原作のエッセンスを無視するのならば、それは本歌取りでもない全く別の話として扱われた方が誤解がなくていい。その伝でバートン版「不思議の国のアリス」は「不思議の国のアリス」ではない。


ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」のエッセンスはなんと言っても「ナンセンス」にある。
もうひとつ言えば「世界を意味付けることの放棄」にある。

韻を踏むだけで意味の通らない歌を登場人物が延々と歌い、
支離滅裂のドタバタが延々と続き、
「お茶の時間に間に合うため」だけにお家に帰りたい、とアリスは言う。

そこには寓意も象徴性もなく、
アリスの冒険の意義とか
赤の女王の凶暴性の理由とか
帽子屋の狂気の訳とか

誰もその意味を尋ねたりしない。

出来事と叙述の間に「距離がない」ということが夢の世界の特徴であるからだ
(われわれの価値判断抜きの世界そのものの姿でもある)。




一方、ティム・バートンのアリスは

選ばれし者(The One)
選ばれしアリス(The Alice)

であり、


主人公(アリス)は自分の使命を未だ知らず
選ばれし者として祭り上げられることに違和感を覚えるのもつかの間
友情のために勇気を奮って危ない道を渡り、
助け手を得て宝物を探し当て、
悪者を倒し、

最後には自分の人生の意味を探し当てる...

英雄神話の王道パターン。



おまけに流行のCGバトルシーンで龍型の化け物を退治して正真正銘のヒーローになったアリスを見た時は
(そしてチェシャ猫は実は「ちょっといいヤツ」だったのだ、というシーン!スティーブン・フライがこの映画に出演したのはどういうつもりだったのか?ハリウッドの蜜はそんなに甘いのか?)

なぜにこの話を「指輪物語」(ロードオブザリング)にする必要があるのだ?

と3D眼鏡を床に叩き付けそうになったぞ。


それで何かい、アリスは自立に目覚めて東インド会社の手伝いでもしたんかい。


西洋の、この、世界を意味で埋め尽くそうとする絶え間ない運動は病気ですな。



・・・・・



人生には意味がある
出来事には意味がある
困難にも死にも意味がある
それぞれの人間はその人固有の人生の使命を帯びている

そういった「悲劇の死」的な言葉が人生にフィットすると思う人は、そう思って間違いない。


一方、わたしは人生に意味などなく、固有の使命などもないと思う。
わたしにとって世界は「ありのまま」にあるだけだ(アリスにとってもそうに違いない)。

人生に意味がなく、幸にも不幸にも意味がなく、どういった種類の人生の局面においても正誤の判断の元になる神様も閻魔帳も律法もない世界で、それでも人間が「最善」を尽くして生きることには意味があると思うけど。




人生の意味を探して奮闘する主人公を映画に据える場合には、アリスだけは除いて欲しかった。
アンやジュディを使えばよかったのに。


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着ぐるみウサギは着ぐるみ羊の夢を見るか








近所のホテルの庭で復活祭のチョコレートハンティング。


やさぐれウサギの日常についてあれこれ妄想してしまった。

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尾ひれがつく




先日、フォーマルなパーティの終了後、たまにしか会えないが結構気が合うカップルと話していた時のことだ。


「あなたたちの結婚パーティーにはマイケル・ジャクソンが来たんでしょ?」

と、声のトーンを落として真顔で言われた。


彼らは某国外交官夫妻で、世慣れた(洗練された)方々ですよ...


そんな話、信じるか?普通。

ああ、美容室でセットしてもらって着飾ったわたしの姿しか知らないから?!




実はわたしはこのウワサが生まれた日を追憶できる。

あれは10年ほど前、やはりさまざまな国籍の人々が集まる会合で、どんな結婚式を挙げたかという話に花が咲いた。
われわれはヨーロッパではブルージュで式とレセプションをして、フランスはシャンパーニュの城ホテル(と言うのか?)で、2泊3日のパーティをしたと説明したら、旦那の仕事柄なのだが、ポールが来て歌ったの?などと(たぶん)冗談で言った人がいたのだ。

で、「そうそう、”my love ~” ってそんなわけないやろ!!」と、脊髄反射的にボケたわけだ(M氏は実際、人格者であられるが)。

たとえ外国語であっても、投げてこられたらボケるのが関西人のソウルやねんもん。


それが巡り巡って10年後に「フランスのプライベートのお城」「有名人=マイケル」「愛の歌を熱唱」などと尾ひれがついてわたしのところに回ってくるとは...


人のウワサってすごいですね...
わたしが興味を持つ世界中の神話なんかもこんな感じで形成されたんでしょうね...


おもしろいからこのウワサはこのままにしておきたかったが、夫の社会的信用上(笑)はそうはいかない。と言うか、夫、自分、わたしのボケが分かっとう?



夫の釈明でわたくしどもの結婚式は尾ひれがとれてマンボウみたいな姿にかえり、静かに泳ぎ去って行った。



いつかどこかでステキな尾ひれをまとったMoetマンボウを見かけたらお知らせ下さい。

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かつ




ベルギーでほとんど毎日和食を食べることができるのは、日本の家族友人がまめに食材を送ってくれたり持って来てくれたりすること、オンラインショッピングの繁栄、和食材の良さが世界的に認知され、普通のスーパでも最低限の取り扱いがあること、鎌田のお醤油のマジック、そしてわたしの旺盛な食欲のおかげである。



昨夜はよい豚フィレが手に入ったので(ベルギーは豚肉と野菜がおいしいと思う)、一口かつを大量に揚げた。

大量に揚げるのはあたくしの大食いのためもあるが、翌日のランチにカツサンドを楽しむためである。
焼きたてのピストレ(日本ではプチパンと呼ばれているのだろうか、フランスパンを直径9センチ程の円形に焼いたもの)にたっぷりのサラダとトンカツソース(ビバ トンカツソース!)ベースのソースをはさんで食べるんですな。


これがわが家では飛ぶような人気なのだ。




さてここからが本題である。

ベルギーではお祭りや学校の休暇の度に広場等に屋台が出る。
買い食いできるもののメニュはなぜか判でついたように決まっていて、

フリッツ(フライドポテト)
焼きソーセージ(のホットドッグ)
ハンバーガー
ワッフル
ベニエ

まあそのような取りそろえ。

誰ももっと売れるものを考えようとか、新しいものを紹介しようとか、そんな風には考えないようだ。
ビジネスだから売り上げをあげることがメインなのだろうが(当然)、よりよいものを開発したり、新商品開発でヒットを狙う「快感」など、ある種のエートスがなければビジネスもやっていておもしろくも何ともないと思うのだけれど...


そこでジャパニーズとんかつサンドですよ。ヤパンス・トンカツゥ・サンド。
娘は「ライスバーガータイプもいいんじゃない?」と目を輝かせている(笑)。
これは絶対売れる、絶対かつ(勝つ)、と確信しているのだが、あたくしは自分自身がテキ屋をやるほど根性が座っていないわけです。

中途半端なマダムの矜持が憎い。


だからこれもわたしの見る夢の一つ。




今週末は復活祭。洒落たバスケットに美しくラッピングしたとんかつサンドをつめて、牧歌的な(バレエの)ジゼルみたいな衣装を着て、「おためし」とうたって配り歩くのはどうだろう?そう、わたしは見知らぬベルギー人に日本のかつサンドを試食してもらいたい!と真剣に思っている。かつサンド娘(笑)。誰ももらってくれないかもしれない。サクラ募集。


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