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ミューズが降りてくる




先日、Aさんへ以下のようなメールのお返事を書いた。
そうしたらたまたまBさんからも同じような問いかけを頂いたので、何かのタイミングかと思いここにも載せることにする。


(...思います。という語尾が異常に多く読みにくい点など少々手を加えました>Aさん)

確かにおっしゃるその通りです。
自分にないものは自分からはでてきません。
(以下、Aさんの趣旨とは異なるかもしれませんが聞いて下さい)

でも音楽をされていたAさんにはお分かりになるのでは?
習ったこともない技術がするっとできる瞬間とか、ある時ふっと何かを越えたかのように突然できるようになるとか、だーっと演奏していて振り返ったら、「私、こんなこともできるの?!」って驚くこととか。
何かと何かがつながる瞬間。

多分普段の我々は結構理性的に生きていると思うんです。それは間違いを起こさないためとか、手間をかけすぎないためとかいろいろ理由があって。それは日常を送る上で合理的な手段ではないでしょうか。

一方、例えば天才と言われる人たちは芸術でも科学の分野でもそうなのですが、その「日常合理的」リミッターをはずすことができるのではないか。つまり、自分にあるもの以上のこと、自分ができる以上のこと、自分が知っている以上のことが「なぜか楽々できる」というのが天才。
モーツアルトやダビンチやマルクスやアインシュタインやスティーヴ・ジョブスが何かを生む瞬間はそういう現象が起こっていたはずです。
比較すると、「自分の知っている範囲のこと」しかできないが、それを無茶苦茶上手くできるのが秀才。

たぶんごく普通の人にも天才と同じことができるんだと思うんです。もっとささやかな規模で。
矮小な例ですが、わたし自身も時々(ほんの時々)、自分でわーっと何かをしていて、でもしながら「これをするだけのリサーチもしていないし、力不足」と感じながら、あれよあれよと進み、最後に「ああこういうことか」と着地することがある。

わたしの場合はそれはもうある分野ではあたりまえのことを「ユーリカ!」と叫んで悦に入っているだけかもしれないけれど、天才にとっての「ユーリカ」は既存の考え方を覆すような「人類の知」の跳躍。
これはいったいなぜそういうことが起きるのでしょうね?

たぶん芸術の女神「ミューズ」が降りてくるというのはこういう現象のことを言うのではないか、と思います。

応用すると、子供には「ミューズが降りてくるような瞬間をできるだけ作る」教育をすればいいのではないかと。
うん、これは本当にそうじゃないかな。

...


では具体的にはどういう風に教育するのかと聞かれたらわたしは正解を持っていませんが、たぶんキーは継続だと思います。
何かを地道にじっくり繰り返し飽きることなくやることです。

「詰め込み教育ではなく「個性」が生きる創造的な教育を」と世間では好んで言われるので、まるで創造的な教育には地道な作業は必要ないように勘違いされることも多いですが、実は「才能」とか「個性」というのは、ある程度は、寝食を忘れるほど熱中していられる態度の中にあるのでは。実際娘にもよく言うことは「石の上にも3年」です(笑)。



以上、まるでわたしにミューズが降りて来て発言しているかのように聞こえたらいけないので断っておくが、こういうことは先達がすでにおっしゃっていることだ。


ミューズが常に降りてくるような才能も欲しかった...同時に女としては誰かのミューズになるような才能にも恵まれたかったです(笑)。レカミエ夫人とかね。



Aさん、Bさん、ありがとうございました。
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いつかロンドン






ピーターパンが飛んで来そうなビッグベンと空のとりあわせ。


ロンドンに住みたいなあ。

6年後、娘が大学に進学したら夫と二人でロンドン住まいをするのが目下のわたしの夢。
それでブルージュにもブルージュらしい古い小さな家を用意したい。

そんなことを言い始めると、じゃ、神戸にもなどと延々...


セカンドハウスを持つなら、どこに持ちたいですか?






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別のカメラを通して見たロンドン ロンドン・アイ








写真が趣味の義理父が撮った写真がドロップボックスにあるのをすっかり忘れていた。
素敵なのも何枚かあるのでこれから時々紹介したい。

このロンドン・アイはわたしが一番はっとさせられた構図。



(このブログを訪問なさる方の中には「写真の雰囲気が好き」とおっしゃる方が結構いらして、ド下手を自覚しているわたしは穴があったら入りたいくらいなのだが、義理父撮影の写真も今までに何枚か載せている。ご興味があられる向きはブログ右下の search に「義理父」と入れて検索してみて下さい)

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子供時代博物館







ヴィクトリア&アルバート博物館分館、V&A Museum of Childhood

妖精や小人、マジシャン、不思議な世界の冒険をテーマにした「マジック・ワールド」展をやっているというのでワクワクしながら行ってきた(がっかりだった、というのは内緒にしておきたい)。
上の写真は "The Stuff of Nightmares" と題された悪夢の森。



「子供時代」というのは発明品である。

英国では19世紀に工場法が制定され、次第に「子供」と「母性愛」という概念がセットで流布し、「子供」は空想と夢と遊びの世界に生きている愛されるべき存在、というロマンティックな考え方があたりまえとなった。この博物館はそれ以降の「幸せな子供時代」を展示した博物館である。

ロンドンにヴィクトリアン趣味の子供時代博物館があるというのは、19世紀以前に生きた「子供時代」のなかった子供たちへのセンチメンタルな弔いじみている。あるいはあらかじめ失われた時を求めている風と言えばいいのか。

産業革命の頃を彷彿とさせるイーストエンドの街角を眺めていると、さもあらんという感じで興味深いのである。

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museum of science & industry







マンチェスターの科学と産業の博物館


ブルージュにグルニング美術館があり
ロンドンに大英博物館があって
灘に白鹿記念酒造博物館があるように

街と博物館は切り離せないものなのか

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